2010年04月12日
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経堂経由のバス路線は吉祥寺まで行っていた

Written By: 川俣 晶連絡先

 バス路線の話題として、Alice堂さんと桜上水Confidentialさんから感想を頂きましたが、興味深いことはいずれも「仙川から吉祥寺まで行っていた」という話に言及している点です。都心方向は、変化も激しいのでいろいろあると思いますが、西の方は何か具体的な意味が読み取れるかもしれません。

 もし、滝坂道文化圏を経由するバス路線が存在するとすれば、ある意味で仙川が終点です。滝坂から先は基本的に甲州街道と合流してしまうからです。

 ところが、この道はそのまま調布方面に向かうのに、バス路線としては吉祥寺に向かってしまうわけです。

 ちなみに、甲州街道沿いに進むと京王線と重複してしまうので営業的に不利だと言うことは容易に想像できますが、始点が渋谷で終点が吉祥寺だと考えれば、井の頭線と重複してしまいます。

ということは §

 実は、渋谷から始まり経堂を経由した滝坂道文化圏は仙川に至り、そこで江戸時代以前は調布方面に接続していたものの、江戸時代に吉祥寺が開かれてくるとそこに主要な接続先を変えていったのかも? (調布方面への接続は甲州街道に任せれば良いことだ)

 そして、その「滝坂道+吉祥寺文化圏」へのアクセスを容易にするために井の頭線は渋谷から吉祥寺を結んでいると思うと筋が通るのかも。

 ならば問題は、なぜ井の頭線が経堂、仙川ではなく下北沢、明大前を経由しているかですが、理由は2つ考えられます。

  • 吉祥寺は遠すぎるから不便であるとするなら、吉祥寺に直行するルートを取るべき (仙川はどのみち京王の駅が既にある。経堂は小田急の駅がある)
  • 山手急行本線(未成線)との連絡の都合を考えると、都心よりの経路にして明大前で接続しなければならない

 やはり理由は上なのかな。

 おそらく、山手急行の都合を排除するために、山手急行傘下に入る前の城西電気鉄道(渋谷急行電鉄)の計画も検討しないと何とも言えないかも。ただ、高井戸経由らしく最初から経堂、仙川を経由する気はなかったようで。

オマケ §

 その後で「鉄道未成線を歩く (私鉄編) 」を何となく見ていると、気になる記述を発見。

その後、小早川は城西電気鉄道発起人会を設立し、(中略)、5月には松原~高円寺間と駒場~多摩川間の申請も追加しているが、2支線共に30年7月に却下されている。

 駒場はもちろん旧滝坂道付近の地名。松原はうっかりすると「現在の世田谷線の松原駅」を位置として想定しそうになりますが、この駅は当時存在しません。この松原は、おそらく「滝坂道の松原宿」です。位置的には、おそらく世田谷区役所の北方あたり(小田急線梅ヶ丘と豪徳寺の中間ぐらい)であり、世田谷線が目指した世田谷と広い意味では同じ場所でしょう。

 とすれば、梅ヶ丘とは「世田谷」の北縁そのものであり、小田急と山手急行がここで接するのも必然。地図を見て、世田谷線の「世田谷駅」と小田急の「梅ヶ丘駅」の近さに驚くことも必然。

 全ての構想が「滝坂道+吉祥寺文化圏」絡みということになります。驚き桃の木山椒の木。ブリキに狸に洗濯機。

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