「ついにこの日が来てしまったという気がするよ」
「というと?」
「そもそも原点に立ち返った話をしよう」
「うん」
「なぜヤマトはアニメだったのだろう?」
「なぜ……と言われてもねえ」
「アニメは、明らかにこれは実写でやった方がいいよねというような作品が珍しくもない。というか、アニメブームが無ければ、実写でやっただろうという企画も多い。たとえば、元祖大四畳半大物語ってあるだろう?」
「うん」
「あれは実写で映画になった。アニメにはなっていない」
「そうか。常識的に実写になる時代があって、ヤマトや元祖大四畳半大物語はその過渡期だったと考えられると」
「つまり、時系列で言うと、大人向けの作品は実写でやるという時代がまずあって、その後でアニメが出てきたということになる」
「うん。しかし、なぜアニメなのかという問題だ」
「なぜだろう?」
「子供の頃、そのことを一生懸命考えたし、よくできたアニメを他人に見せたとき、実写でやった方が良いのではないかと言われたこともある」
「それで結論は?」
「実写の弱体化が原因だと結論づけた。アニメがベストではないが、実写が満たせないニーズを満たすために、アニメが伸張したのだ」
「つまり、本当なら実写でやればいい企画なのに、それでは客を納得させる水準まで行けないので、アニメがその穴を埋めたというわけか」
「うん。おおざっぱに言えばそういうことだ」
「だから、ヤマトをアニメでやる必要性は何もなかったということか」
「そうだ。日本沈没だって実写だったしね」
「しかし、ヤマトを実写ドラマといっても、本当にそれができたかな。セットを組んで特撮をしないと戦闘シーンもできないぞ」
「だからさ。そこに1つの壁があるわけだよ。不思議の国のアリスや、宇宙戦艦ヤマトのようにありえない映像を描く作品は、アニメーションでやった方が早いという面があるわけだ」
「そうだね」
「でもさ。映像技術の進歩によって、そのアドバンテージは消失してしまった。もはや、アニメと実写に境界は存在しない。世代交代によって、実写が弱体だとも言えなくなってきた」
「それで?」
「本来実写でやった方が良いと言われるような企画が、アニメーションを離れて実写に戻ってくる時期ではないか、と思うわけだ」
「まさか。それって」
「そうだ。アリス・イン・ワンダーランドを見て、確かにその可能性を感じ取ってしまったのだ。かつて、ディズニーのアリスは一世を風靡したが、同じディズニーのアリス・イン・ワンダーランドは今や実写なのだ。それでいて、昔ながらの体が大きくなったり小さくなったりする映像を実写でやってしまうわけだ」
「それはまさに時代が変わったね」
「それだけじゃないぞ」
「まだ何かあるの?」
「かつて、宇宙戦艦のヤマトは一世を風靡したが、同じヤマトが今や実写で作っているのだ」
「なるほど」
「意図はしていないと思うが、一世を風靡した過去作を現代的に作り直したときに、アニメーションがCG技術を駆使した実写に変わる。おそらく構造は同じだ」
「そうなるのか」
「構造的に、アニメでやることに価値があるという説得力を示せなかった作品はこれから生き残れなくなっていくかもしれない。そうやって淘汰されていき、大半のアニメが無くなったとき、おそらくそれがアニメ最期の日だ」
「ってことは、それを示せたら生き残れるわけね?」
「うん。ただ、難しいと思うよ」
「なぜ?」
「今の主流は2世なんだ。すばらしいアニメを世間に認めさせようとがんばった世代ではない」
「物心ついた時には既にアニメがあって当たり前だった世代か」
「そういう世代は、過去の遺産を食いつぶす縮小再生産に陥りやすい。というか、今時のアニメの世界はまさにそうだろう。先行する特撮は、そういう世代が引退して既に第3世代に突入しつつあり、復興しつつあるような気がするけど、本当かどうかは知らない」
「それで君としてはどうなんだい? アニメは最期を迎えてもいいのかい?」
「うん」
「ヤマトが拓いたアニメだろ?」
「やはりヤマトが最期の日を知らせる角笛を吹いてやってくるからさ」
「それでいいのかね?」
「それは、毎朝新聞のテレビ欄で特撮らしい映画の放送があると必ず見ていた時期がある子供時代を考えれば、自ずと答えは明らかだ」
「アニメである必要はない訳か」
「さらに言えば、足を踏み外して違う映画を見てしまった経験から面白くあるために特撮映画である必要はないと気づいてしまったという経緯もある」
「じゃあ、なんでもありあり?」
「うん。面白かったらいいんだよ。何でもあり。アニメには依存してない」
オマケ §
「最初に書いた、ついにこの日が来てしまったという、この日ってどの日?」
「アリス・イン・ワンダーランドを見ちゃった日ということだ」
「そういう意味で、先触れはヤマトよりもアリスだったかもしれないのね」
「アメリカではアリス、日本ではヤマトかもしれないね」
「しかし、映像的にはヤマトも三丁目の夕日も大差ないという気もするけど?」
「151系こだまとか、建設中の東京タワーの代わりにヤマトになるだけかもしれない」
「それでもヤマトは先触れになるの?」
「うん、アニメの時代は終わったことを知らせるのは、もともとアニメだったアリスやヤマトの使命だろう。ちなみに、建設中の東京タワーといえば、シャーロックホームズでも建設中のタワーブリッジが出てきて、似たようなものだと思った」
「昔の映像を作るためにもCGが活躍しているってことだね」
「アリス・イン・ワンダーランドも、ちゃんと昔の話として作っているから時代的には過去の再現にCG技術を大いに使っているという感じなんだろう」
「なるほど。CGが未来を描くとは限らないわけだね」
「CGが未来だったのは、トロンとか、レンズマンのアニメ映画の頃の話だろうね」
「ところで、話が昔に戻るとここらで話がヤマトに話が戻りそうだけど」
「うん。トロンには話題もあるが、それは横に置くとして。アリス・イン・ワンダーランドだが、実は赤の女王はズォーダーだという印象を持った」
「というと?」
「残忍で傲慢な独裁的な帝王だが、側近に裏切られる。孤独な帝王だ」
「特に2のズォーダーだね」
「だから、そういう意味でこの映画の本当の主役は赤の女王とも言える。2の真の主役が実はズォーダーであるようにね」
「なるほど」
「これは赤の女王が味方に裏切られていく悲劇とも言える」
「すると、白の女王がテレサでアリスがヤマト。赤の女王はアリスに負けるけど最後に真の勝者となるのは白の女王だ」
「白の女王が最後に王冠を頭に載せちゃうね」
「アリスは単に戦っただけ」
「じゃ、ハッターは誰に相当する?」
「デスラーだろう。赤の女王のために帽子を作るが、実際はアリスの味方だ。白色彗星帝国に身を寄せていても、都市帝国攻略のヒントをくれるデスラーがお似合いだろう」