ネタバレを含むので全文ネタバレ防止対象です。
「もう1つだけ、前から思っていた1つの話題と絡むので「告白」の話をしよう」
「それはなんだい」
「死と命だ」
「なるほど。この映画では死と命がある意味でテーマだからね」
「厳密に言うと、死と命の認識のミスマッチがテーマだ」
「というと?」
「犯人達は、被害者の死にさほど大きなウェイトを置いていない。実際に、死ぬのは誰でも良かったのだ」
「うん」
「でも、被害者の母親は、えげつない復讐劇を行うほどに怒りに駆り立てられた」
「うん。そうか。そこで認識にミスマッチがあるんだね」
「そうだ。でも、もっとざっくばらんに分かりやすくしよう。ここで語ろうとしているのは命は誰のものかという問題だ」
「というと?」
「昔から自殺は正しいか、という議論がある」
「オレの命なんだから、好きなようにして悪いか、という議論だね」
「これは命が個人の所有物であるという典型的な解釈だ」
「それで? 違うのかい?」
「この考え方の対極にあるのが、上條恒彦のアルバム『お母さんの写真』に収録されている『ひとつ やくそく』だ」
「親より先に死んではいかん、と歌ってるよ。何を言ってるの?」
「何を言うかと思うだろうが、とも歌っているから、その感想も織り込み済みだ」
「つまりどういうこと?」
「命は子ども個人の所有物ではなく、親のものでもあるという考え方だ」
「えっ?」
「このあたりは、理屈では割り切れない世界だが、実際に子どもを失った親の悲しみといいうのは壮絶なものがある」
「見てきたように言うね」
「見たんだよ。本当に弟が死んで、残された父母がどういう態度だったかずっと見てきたんだ」
「おっと」
「だから、子どもを失った親が、犯人に対して超法規的なえげつない復讐をしてしまう話には確かに説得力がある」
「そうなると、命は個人の所有物という考え方とは、凄いミスマッチだね」
「そうだ。そのミスマッチに足下をすくわれて少年が滅んでいく映画が告白だとも言える」
「ということは、どういうことなんだ?」
「だからさ。命は誰のものかという問題に戻って考えてみると、実は命というのは多くの人たちの力で生かされているのだよ」
「うん。でも税金とか払って社会的な責任を果たしたら、自力で生きているとは言えないかい?」
「しかし、親や社会に多くの手助けをしてもらって子どもは成長するんだ。社会に出たばかりの子どもは、実際には一人前とはいえない。多くの負債を抱えている状態だ」
「銀行口座が黒字であっても?」
「うん。そうだ。いろいろな形の貢献でのリターンが期待されているので、金銭に換算されていないから黒字に見えるだけだ」
「では、これが結論だね。命は個人の所有物ではない。だから、親より先に死んではいかん」
「かといって、命は個人の所有物ではない、という決まりもないんだよ」
「え?」
「他人がどれほど悲しもうとも他人にどれだけ負債を残そうとも、それらはすべて他人の勝手だと思って、自殺したってそれで罪になるわけではない。いや、死んだらもう罪に問えないといった方がいいのかな」
「じゃあ、どうなんだ?」
「どうにもならんよ、生きることは他人抜きでは難しいが、死ぬことだけは他人抜きでも楽なんだ」
「それが結論?」
「いやいや。実はここからが重要だ」
「というと?」
「なぜ、命は個人の所有物という考え方が出てくるのだろうか。死んだら親が悲しむのにそれが想像できないのだろうか。それが致命的な悲哀だと分からないのだろうか」
「うーん。なぜだろう。知恵や経験が足りないのかな。若いから」
「実は、以前にネットの病理の典型的なパターンとして、『他人の立場に立って考えることが不得意』ということを指摘したことがある」
「え?」
「だから、そのパターンそのものなんだよ」
「まさか」
「親の立場に立って考えることができないから、子どもが死んだから親が悲しむという簡単な状況も具体的に想像できないわけだ」
「なるほど。見事に当たってるね」
「実は告白でも、このパターンが頻出するのだ。子どもの立場に立って考えられない母親と、母親の立場に立って考えられない息子が、ぐだぐだの家庭を作り上げてしまうし、明るく元気な男性教師も相手の立場に立って考えないから子どもを救おうとして逆に糾弾される立場に立たされる。しかもラストまでそういう話なんだよ」
「そうか。相手の立場に立って考える代わりに自分に都合の良い解釈を吹き込まれると信じてしまうタイプばかりなんだ」
「うん。詐欺的ビジネスのカモのタイプだと思うよ」
「で結論は?」
「無い。きっぱり無い」
「じゃあ、各人が何を信じてもいいの?」
「良いわけではないが、強制はできんよ。各人が自分で自分に都合のいいと思う選択をするしかなかろう」
「明らかに詐欺師にカモられていると分かっても?」
「うん。自分の判断で自分からカモになっている人にまで、やめろとは言えないだろう」
「詐欺師に美味しい汁を吸わせるな、とも言わないの?」
「言わない。なぜなら被害者に自分が被害者という意識がないから言っても通じないからだ。何言ってるんだ、こいつと思って話を真面目に聞かないだけだ」