洋服の青山までの行き帰りに少し寄り道をしたところ、意外な発見の連続。
以下地図を元に説明します。
より大きな地図で 20100730の発見 を表示
経堂赤堤通り団地周辺は何度も通った場所で油断していました。しかし、油断は禁物。
北沢川支流径路 §
北沢川支流の支流は道なりだと思っていましたがこれが大間違い。地図上の青線の横道の方が支流でした。この径路は、途中で柵があって塞がれていますが、これは大きく成長した木が邪魔しているからで、強引に横から入れば先まで行けました。しかし、途中から柵で入れない道になり、駐車場経由で表通りに出るしかありません。
入れない場所パート1 §
赤線が柵で入れない場所です。舗装してあるのに入れません。
その先も §
実はその先の黄色の部分も水路っぽい感じです。しかし、goo地図の昭和22年を見ると赤線で終点に思えます。しかし、今昔マップ2で、歴史的農業環境閲覧システム(農業環境技術研究所):迅速地図(1880-85年)を見て納得。確かに線がここで終わらず、更に先まで延びています。
早苗幼稚園前にT字路 §
早苗幼稚園前のT字路が不自然です。しかし、古い航空写真や地図を調べていて気づきました。現在は東から来ると早苗幼稚園前で右折して勝利八幡に抜けるルートが立派な道ですが、昔は緑線が直進ルート。水色線はT字路の曲がった先の脇道でした。今と径路が違います。
入れない場所パート2 §
オレンジ線は、舗装されているが柵があって入れない斜面です。位置関係的に水路跡であってもおかしくない場所です。感じとしては、他でも見る世田谷暗渠そっくりです。ただ、丘の上から真下にまっすぐ続くのは不自然であり、排水路の跡ということもあり得ます。
不明の痕跡 §
ピンクの位置に、使用されていない細長い土地が残っていて、良く分かりません。goo地図の昭和22年を見るとここだけ黒い線があるので、何かあったのかもしれません。
考察 §
早苗幼稚園前は不自然に道路がまがりくねっていて変だと思っていましたが、徐々に謎が解けてきた感じです。おおまわりして川に直角につなぐのが古道の流儀らしいので、古い径路を前提に考えると割と順当に径路の正当性が見えてきます。
感想 §
見落としが多いのは以下の2つの理由と思われます。
- 日没後に歩くことが多かった
- 日があっても知っている場所だと思ってさっさと歩いた
日の長い7月であることと、足の痛みでいつもより少しペースが低かったことが幸いしたのかも。