「続々・弁財天から続く径路・これは古道なのだろうか?」の話の続きです。
実は、桜上水Confidentialさんから示唆に富んだメールを頂きまして。あらためて地図を見てあることに気づきました。
明治初期の状況 §
今の状況 §
分かりにくいと思うので、線を引いてみました。
明治初期の状況 §
今の状況 §
つまり、線を信じるなら緑中のところにある屋敷に道路が正面から入っておらず、東に大きくずれています。今とは径路が違います。以下の赤線が地図の径路、おおざっぱに見て緑線がおそらく現在の径路です。
あらためて線を引き直す §
改めて線を引き直してみました。青線が新しい推定です。赤線は従来の想定ですが、実際は緑線の径路の道が別に存在しいたと考える方が良さそうです。
今回のブレークスルー §
明治の迅速図を使っているのは、要するに、より新しい道路を排除したいからであり、迅速図の道路の幅の表記を採用する意味は無かったわけです。そこで、太さに関係なく弾き直して青のラインとなりました。(従来の赤のラインは太さを尊重したライン)
これによって、実は1つの重要な問題を解決できます。それは烏山川を超えていく径路です。従来の解釈では滝坂道で終わってしまいますが、今回の推定ラインでは更に先につながります。