「ナイツ&デイという映画を見に行ったのだが、実はヤマト関連で思うことがいろいろあった」
「というと?」
「話は主に2つある」
ポスターの話 §
「入ってすぐの割と目立つ場所にポスターがあったけど。赤錆びた鉄の塊のヤマトの前にジャンクあさりの古代という構図だ」
「それは、今までのヤマトとは傾向が違うね」
「昔のヤマトのポスターはヤマトが主役だったが、今回はキムタクが主役ってことだろう」
「それでいいのかな?」
「おいらはそれでいいぞ」
「どうして?」
「宇宙戦艦などという非日常的な存在は分かりにくく、感情移入しにくいが、廃墟とぼろぼろの男はまだしも理解可能だからだ」
「なるほど」
「設定至上主義のマニアもどきには分からないかもしれないが、映画は本質的に客に予習を求められないメディアだからね。分かり易さは重要さ」
あしたのジョーの話 §
「ナイツ&デイは、要するにアクション恋愛洋画だ。デートムービーにお勧めという映画だ。だから当然、そういう客層を当て込んだ予告編が多く流れる。ハリーポッターとかね」
「うん」
「でもさ。ヤマト実写版とあしたのジョー実写版の予告も流れた」
「えっ? ジョーも? しかも実写版?」
「実はさ。1980年頃人気アニメのリメイクブームというのがあってね。ヤマト2とかあしたのジョー2とかガッチャマン2とか新エースをねらえがその潮流に該当すると思う。たぶんね」
「そうすると、予告編としてヤマト実写版とジョー実写版が並ぶとその時代を彷彿させるね」
「しかも、両方とも実写版なのだ」
「昔の人気アニメなのにね」
「アクション恋愛洋画には似合わないね」
「でもさ。よく考えると、昔のヤマトの映画を見に行くとさ。サタデーナイトフィーバーの予告を流していたような気がする」
「ええっ!?」
「他の映画でも割と流れていたような気がする」
「どういうことだろう?」
「ピカピカのディスコで踊ることと、ピカピカのサイロン兵士が歩いている光景はある意味で同じような客層にアピールしていたのかもしれない」
戦場で…… §
「ガンダムは、チケットカウンターの前(列の後ろの方)にポスターが置いてあったし、売店でのグッズの扱いも良かった。割と映画館を儲けさせることに貢献している感じだな。一応、映画館という戦場、しかも東宝系というアウェイでもそれなりの結果を出せたようだ」
「それは歓迎できること?」
「まあ、結果が悪いよりはいいだろう」
「でも、君が素直にガンダムで肯定的な評価を出すとはね」
「おっと。勘違いするなよ。凄くガンダムっぽくない点がこの劇場版ガンダム00で評価されて客が伸びてる可能性だってあるぞ」
「ちっちゃいティエリア萌え萌えという可能性もあるけどな」
「ちっちゃいってことはいいことなんだよ。実際、売店の奧に行くと小さい人のアリエッティ・グッズも多いしね」
「ちなみに、見出しに戦場でって書いてあるけど、ファーストガンダムのサントラの2枚目のタイトルが『戦場で』ってことは知ってる人ももうほとんどいないのでは?」
「そういう奴は、ビームきらめく雲を裂く戦場で、生きて見つめてくれ。そういうLPが昔はあったんだよ。今でもCD買えると思うけど、当時の独特の熱気はもう買えないだろうね」
「シャアの歌とかララァの歌とかあったね。でも、アムロの歌って無いね」
「振り向くな、アムロ~♪ってあるじゃないか」
「あれがそうか」
「しかし、ブライトの歌はないね」
「銀河旋風ブライト、お呼びとあらば即参上」
「なんか違う」
「でも、いまはおやすみ、とかすげえきつい歌詞だぜ。あ、これもアムロの歌かな。だから、ねえ、おやすみ、アムロ♪」
「歌詞を検索すると凄いよね」
「夢と眠りと愛する2人の巣立ちの歌だけど、最後は血みどろで風に舞ってしまうのだ」
「2人でね」
「まあ、傷をなめあう道化芝居と歌ってしまうコスモスに君とも、負けず劣らずきついけどな」
「ははは。あれもきついね」
「でも、歌詞検索してはたと気付いた」
「なに?」
「この2つ、両方とも作詞井荻麟で、歌は戸田恵子さんだから共通しているんだよ。テイスト的に」
「監督自ら作詞か」
「イデオンとガンダム、作品が違うから、見えにくいけど連続性がある」
「なるほど」
「これだけのきつい歌詞を綺麗に歌いこなしてしまう戸田恵子さんも凄いな」
「ヤマトにはあまり縁がないけどね」
「でも、いいんだ。1000年女王(雨森始)という配役もあるしね」
「1000年女王か!」
「劇場版では死んだ1000年女王を生きて見送って終わる、きつい役柄だしね」
「話を戻そう。脱線しすぎだ」
「でも、そういうどろどろした部分がガンダムの看板を背負った後継者に受け継がれているかというとかなり怪しい」
「部分的には、いい感じの人もいると思うけどね」
「愛し合う男女を平然と子供の目の前で殺し合わせちゃう0080とか?」
「それもあるな」
「でも、かなり例外的だ」
「すると、ヤマトの場合はその点でかなり救われているのかな?」
「うん。アニメは西崎さんが手綱を握っているし、実写版もどろどろした部分をかなりえぐい感じで描いているっぽいからな。ずっといい感じだと思うぞ」
「きれい事になってないヤマトか」
「そうさ。完結編ではいきなり古代が辞表を書くし、2520では士官学校入学という嘘の餌を平然と描くし、復活編では娘にいきなり糾弾されちゃうし。かなりどろどろさ。けして都合良くパパの作ったガンダムと説明書が落ちていたりはしない」
「ははは。表紙にVって書いてある説明書ね」
「それに逮捕とか裁判とか修羅場を見てきた西崎さんだから、きれい事では終わるまい」
「修羅場か」
「もともとヤマトはそういう話だ。変わり果てた兄は出てくるし、艦内で反乱は起こるし、ヤマトが地球に戻るかも怪しい。豊田版コンセプトに忠実とされる石津嵐版だと放射能除去装置すらない」
「そういう修羅場を見てこそのヤマトってことだね」
「そうだ。そしてそれは実写ヤマトで実現しそうだ。修羅場も見られそうだ」
「やった。ニュータイプの修羅場が見れるぜ!」
「ニュータイプ?」
「修羅場の枕詞だよ」
オマケ §
「しかし、涙ジョー、あしたのジョーってネタを書いたとき、まさか真面目にヤマト関係の話題に昇格してくるとは思ってもいなかったぜ」
「あしたのジョーだけに、ジョーダンだと思っていたよ」
オマケ2 §
「でも意外と似合うかもよ」
「どこが?」
「ガミラスが憎い古代が、出撃してもエンジンオーバーヒートでさ。怒りのやり場が無くてサンドバックを殴るんだよ」
「うん」
「だけど憎いあんちくしょうの顔が浮かんで消えるわけだ」
「そのときの古代はまだガミラスの顔を知らないけどね」
「古代の明日はどっちだ」
オマケIII §
「でなければガッチャマン風ヤマト」
「どうなるんだよ」
「まず南部が親のコネで出世する。しかも博士号まで取ってしまう」
「それで?」
「波動砲を撃つとき、いちいち南部博士の許可を取るんだよ」
「ははは」
「しかも、波動砲を撃つかでいつも古代と島が喧嘩しちゃう」
「いかにもありそう」
「だから、愛を持たないでヤマトの愛が分からない人たちにあえて言おう」
「なんて言うの?」
「愛がなければ愛すればいいさ」
「なるほど、リメイクブームのガッチャマン2だけにそういうオチか」
「ここ、怒るところじゃなくて笑うところだからね」
「ラジャー」