「というわけで、PDC10 Japanに行ってきた。東京タワーに近いナイスな場所だ。大江戸線赤羽橋の駅に近い。他いくつかの駅からも近いけどな」
「それで感想は?」
「うん。扱いが良かった」
「へ? 何と比較して良かったというの?」
「併設のMicrosoft Conference 2010とか。前回のVisual StudioのLaunchイベントとかと比較して」
「そうか」
「よく確認しないでおおざっぱな時間表だけを見て朝早く行ったら、Microsoft Conference 2010のキーノートの会場に案内されたが、これは宣伝臭い各社の偉い人の挨拶なども長々とあったし、椅子が並んでいるだけでさほど厚遇されたとは感じなかった」
「そうか」
「でもさ。PDC10 Japanに行ったらびっくり。そっちは椅子だけじゃない。テーブルがある」
「ええっ?」
「その上、無料の無線LAN完備でコンセントは2座席に2個口が1つぐらいの割合であった。ACアダプタでノートPCも問題なし。しかも通信できる。おいらはノートPC持って行かなかったけど、アドエスで無線LAN使い放題だった」
「なんと」
「しかも、弁当とお茶付き。もちろん、かなりいいところの高そうな弁当だ。そして終了後のパーティーには軽食といいつつホテルのかなり凝ったサンドイッチや簡単な料理。これは美味かった」
「なるほど。かなり差が付いた厚遇だったようだね」
「でもさ。これは凄い策士の策だよ」
「というと?」
「たとえばさ。OSS最大の弱点ってなんだか分かるかい?」
「それは何?」
「うん。たとえばさ。商売人の最大の資産って何か分かるかい?」
「商品の在庫かな」
「うん。じゃあさ、プログラマ最大の資産って何か分かるかい?」
「自分で書いたソースコードかな」
「そうだね。でもさ、OSSっていうのは実はあらゆる資産の私有を認めるがソースコードの私有は認めない。公開される共有財産として扱うことが強制される」
「ええっ? マジで?」
「今はどうか知らないけど、前に調べたときはそういう結論になった。まあ解釈は人それぞれという可能性はあるけどね」
「なるほど」
「従って、OSSの思想はプログラマに私有財産を吐き出せと要求することになる。共有財産にしないで私有財産になっているソースコードを持つことは悪行として断罪される。でもさ、私有財産というのは最大級にやばい話なんだ。これを否定することは、大問題を引き起こす。大規模にやればそれこそ政府の1つや2つ、簡単にひっくり返るぐらいのインパクトがある。どんな強力な軍隊を持った独裁者でも転覆される」
「簡単に劣化なくコピーできるものはコピーできることを前提にした方がいいという話ではないの?」
「文字や音符は記号に過ぎないから簡単に劣化なくコピーできる。表現が劣化しても中身は失われない。だからバシバシコピーされて海賊版を出し放題という時代は18~19世紀ぐらいから既にあったが上手く機能しなかった。だから、著作権という権利が生まれた」
「えーと、じゃあどういうこと?」
「つまりさ。OSSというのは、プログラマを永遠に搾取される格下の存在として扱う思想なんだ」
「それはひどいね」
「でもさ、このPDC10 Japanでの開発者に対する扱いを見ると、君たちは尊重されるべき特別に大事な存在だよ、というメッセージ性が見える」
「まるで逆だね」
「一般論としてプログラマだったら、どっちを支持したいと思うかは明白だな。君は素晴らし価値ある存在だよ、と認めてくれる方についていく方が気持ち良いだろう」
Java問題 §
「1つだけあまり面白くなかったセッションがある。PHPやJavaとAzureを連携させるという内容だ」
「そうか。Javaなんてかなり古いものね。PHPはまだマシかな?」
「でもPHPもEclipseで使うという話題だったりする」
「ははは」
「しかし、これは凄く意味深だと気づいた」
「というと?」
「こっちの水は甘いぞという誘いだけではない、ということだ」
「どういうこと?」
「君たちの負けだから退却しろ、とは言わない。君たちが大好きなOSSもJavaも認めてあげるから、新しい戦場に転進しなさい、というわけだ。Windows Azureという新しい戦場にね」
「退却じゃなくて転進か。どっかの赤い丸を旗印に掲げた旧軍みたいだね」
「でもさ。これは重要なことだよ。敗軍を完全に包囲してはいけない。敗軍には常に安全な退却路を残すことが必要なんだ」
「どうして?」
「ここから先は自分で考えてくれ。説明するのもめんどいからな」
「とほほ」
知り合いの問題 §
「結局、知り合いに挨拶されることも、知り合いを見つけて挨拶することもなかった。もう完全に世代が変わったのだろう」
「そうか」
「イーストの下川さんの名前が1回出たが、検索で話題を見かけたという話で、直接下川さんと話したわけではないようだ」
「ははは」
「かつてWindowsが全く売れないソフトの代名詞だった時代、イーストは日本で唯一のWindows専業ソフトハウスだったし、下川さんこそが代表格(社長という意味ではない)、だったけど、もうそういう時代のことを知っている人もほとんどいないだろう」
「そもそも、Windowsが全く売れないソフトの代名詞だった時代があるという認識すらない人ばかりじゃない?」