桜上水Confidentialさんよりメッセージを頂きました。
Subject: 下高井戸商店街のルーツが見えてきた (ついでに安心堂、ロバパン)
Keyword: 【▲→川俣晶の縁側→歴史と文化→下高井戸周辺史雑記】
URL: http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20101222183150
名前: 桜上水confidential
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本文:
ご指摘の通り、七軒町は下高井戸商店街のルーツだと思います。
先年世田谷市場に統合された淀橋市場松原分場の前身にあたる市場が、上北沢に移転する前、七軒町の京王線沿いにありまして、商店街はいわばその場外みたいなもんだったんじゃないでしょうか?
もともと、下高井戸駅前の商店街は、今の日大通りだけでなく、もう一本東南側の道沿いにも相当の集積があり、この道は市場に向かう道でもあったのだと思います。しかし、京王線のホームが延長され、道が地下道となり、衰退していったと推測しております。
Web東京荏原都市物語資料館のきむらさんが、代田橋の入り口にロバパンがあったと先日書かれていました。今の京王ストアあたりですかね?
本題は良いと思います。
問題は、最後の1文。
検索したら見つかりました。
2010年12月19日 下北沢X新聞(1717)~代田半島地形学入門~より
駅前通りの出口で花屋さんがいた。代田橋にロバのパンがあって、その車を牽いていたという親父さんだ。そのパン工場をやっていた芹沢さんいるから聞きに行ってみるといいよ。そう言われたが、われら旅の途中で、聞き書きはあきらめて玉川上水跡に向かった。
なんとつい数日前。この文章の手前の1372ミリの部分は読んだ記憶があります。その時点で関連性を感じてはいなかったので、ロバのパン屋は見落としていたようです。しかし、ロバのパン屋は少なくとも昭和30年代まであったはずなので、江戸室町の古い話と違って、証言等から場所を特定できる可能性がありますね。
ただ、ロバのパン屋は基本的に移動販売だったようなので、店舗のようなものがどこまであったか分かりません。これは要確認。
もう1つ、上記の文章での重要な示唆は、店の他に工場があったという話です。これは同じ場所か違う場所か。
おそらく、そのあたりのことは、きらけんさんがおやりになると思うのでとりあえず棚上げ。
余談 §
どうでもいいけれど。代田橋の近くの地図を見たらいきなり目に入ったのが大原稲荷神社。水路の近くは稲荷と弁天。弁天はおそらく水そのもの。稲荷はイネ。玉川上水と和田堀給水所に挟まれた水に縁のある土地。近くに、神田川の支流も来ていたはず。
更にこの花屋が地図であたりを付けた場所なら、裏に送電鉄塔。
その上、てさんよりのメッセージで「昔、大原稲荷の祭事には、新宿よりの臨時改札でも追加で客を捌いた」とあった点とも絡みます。
意図せずして、代田橋が熱いか?
更に余談 §
「車を引いていた花屋さん」「パン工場の芹沢さん」という記述でふと連想が働きました。
下高井戸には、花屋の芹沢さんが存在します。何か関連があるのかな。