「まだ何かあるの?」
「あまり話題は無いな。最近はあまり本屋も覗いてないし」
「まったく?」
「近所の本屋は覗くが、やはりスマートフォン関連のムックは減ったままだ」
「じゃあ、どうしてまたこの話題なの?」
「本当にAndroidは売れるのか、という疑問への答えになりそうな記事を見たからだ」
「韓ドロイド」に見る1年後のAndroidアプリビジネスより
大手量販店の競争が激しい首都圏のユーザーには想像が付きにくいと思うが、「地方では、ショップカウンターでの対面販売で勧められた機種を素直に買っていく人が多い。販売員がスマートフォンを勧めれば確実に売れるし、インセンティブもタップリ入るからね。はははっ……」(地場企業経営者)というわけで、この人の話を聞いているうちに、山田社長の600万台発言はハッタリでも何でもなく、実現可能な目標に思えてくる。
「なるほど。確かに、ドコモが全力でプッシュして売るなら売れそうだね」
「うん。でもさ。ここに1つの問題がある」
「何?」
「携帯屋さんに『携帯くださいな』と言って客が来たとする」
「うん」
「そこで、店員がAndroid携帯を勧めて売ったとする」
「うん。それはあり得るというんだろう?」
「おそらく嘘では無かろう」
「じゃあ、Android携帯は売れるってことじゃない」
「ああそうさ。それがどれほどクソ迷惑な反社会的行動であろうと、売れるだろう」
「迷惑そうな顔だけど、一応疑問は解消だろ?」
「いやいや。よくこのシナリオを考えてくれ」
「えっ?」
「客は携帯を買いに来たんだ。店は、Androidを『新しいスマートフォンっていう携帯ですよ、さあどうぞ』と言って売るわけだ」
「そこに何の問題があるんだ?」
「客は携帯を買いに来て、店も携帯として売ってしまうんだよ」
「あれ?」
「つまりさ。この構造の問題は、実はユーザーの『スマートフォンに対するニーズ』を一切喚起してない点にある訳だよ」
「ああ、分かったぞ。Android携帯がいくら増えても、スマートフォンへのニーズが増えるとは限らない訳か」
「通話とメールだけでいい、という携帯ユーザーは珍しくも無いし、別にそれで困っているわけでは無い。そういう客にAndroid携帯を売ることは可能だろうし、安くて店員のお勧めなら客も買うだろう。でも、そのあとでスマートフォンとして使うかは別問題だ」
「スマートフォンとして使わないってことは、アプリをダウンロードするなんてこともしないわけだね」
「そういう意味でAndroidのアプリが金儲けになるかどうかまだまだ不透明だ」
「ただでさえ端末の自由度が高すぎてアプリ書きにくいのにね」
「まるで、アプリを書くなと声を揃えて要求してるようなものだろう」
「それは悩ましいね」
「より正確に書こう。Android携帯が売れればそこそこの割合のユーザーはスマートフォンとして使えることに気付いて使おうとするだろう。しかしその人数の比率は良く分からない」
「いかに、一千万台のAndroid携帯が日本に溢れても、実際にアプリをダウンロードする客層の割合が不透明ってことだね」
「逆に、AppleやMSの携帯は、端末そのものの売れ行きが細くても、アプリがダウンロードされる比率がずっと高くなる可能性がある。PCでのメジャーブランドってことは、それに慣れたユーザー層が流れ込む可能性があるからだ」
「じゃあ君の結論は?」
「ワカラン。先のことなどワカランよ。全ては可能性に過ぎん」
「ええっ? 結論出ないの?」
「1つの疑問への決着は付いた。しかし、それは新たな疑問の壮大なプロローグに過ぎなかった」