「SPACE BATTLESHIP ヤマト祭り後夜祭ってどういう意味だい?」
「赤坂サカスの15mヤマトを見たときも、劇場で繰り返しSPACE BATTLESHIP ヤマトを見たときも、ヤマト以外で最も印象に残ったのが『毎度毎度あしたのジョーの予告を見た』ということだからだ」
「じゃあ何の関係も無いの?」
「一応、SPACE BATTLESHIP ヤマトがもう上映されていない劇場を目の当たりにして納得するという効能が期待されている」
「嘘くさい効能だな」
「でも、意味はゼロでは無い」
座席の問題 §
「J2って知ってるかい」
「昔太陽系で暴れ回ってたという?」
「それはJ9」
「J2って何?」
「J2という座席で見た。Jと言えばジョー。ジョーに敬意を表してJ列」
「本当に?」
「というのは嘘。メイン通路の狭い2列座席も一番後ろを選んだらJ2だっただけ」
「なぜそういう場所?」
「あしたのジョーはほとんど見てないし、思い入れも無いから前に出る理由が無かったからだ」
TBSの問題 §
「これもTBSの映画。SPACE BATTLESHIP ヤマトと同じく最初にTBSのロゴ。でも、SPACE BATTLESHIP ヤマトが60周年記念だったのに対して、こちらは特に何も無し」
背景の問題 §
「始まるといきなり都電」
「良い映画じゃないか」
「古い東京の町並みが再現されていた。昭和20年代ぐらいかな」
「そうか」
「オート三輪が平然と停車している風景という奴だ」
「そういう映像が得意そうな三丁目の夕日の監督がSPACE BATTLESHIP ヤマトをやっているのは人選の皮肉だね」
スケールの問題 §
「前半はまあ面白い。一応、感情移入できた」
「そうか。それは良かったね」
「刑務所内の出来事は、まあ意味も分かる。感情移入もできる。特に、所内のボクシングで力石に矢吹がぼこぼこにされるところは良いと思う」
「それがスケールの問題」
「いやいや。そこはいいのだ。刑務所というのはスケールの小さい世界で、プロボクサーだろうと、街のチンピラだろうと一緒になる世界だ。そこで、格が違う2人が戦っても不自然では無い」
「そうか」
「問題は、刑務所を出た後だ」
「というと?」
「世界に手が届く力石と矢吹が戦う理由が良く分からない。まるで格が違いすぎる」
「そのへんか、問題は」
「更に言えば、ジョーはドヤ街に属するが、実は敵対する力石もお嬢様を通じてやはりドヤ街につながっている。異文化接触のように見せかけて実は一回りするとドヤ街という小さなコップの中に世界が収束してしまう。世界に手が届いている力石がいるにも関わらずだ」
「ダメじゃん」
「だから、力石の言う世界のスケール感が凄く小さい。力石のスケールは世界じゃなくて、県大会ぐらいが妥当に思えてしまう」
「わはは」
「そういうみんな閉じている中で、丹下のオヤジさんだけは世界が開いていて、ジョーをボクサーとして鍛えてプロとして通用させたいと思っている。この映画の中では、珍しくそういう意味で開いているおっさんだ」
「他には?」
「力石が死んでしまうドラマ的な理由も良く分からない。矢吹ジョーが失踪して帰ってくる展開も意味が分からない。これは泪橋を逆に渡ったと言うことなのかと思えば、結局戻ってくるし」
まとめ §
「じゃあ、最終的な感想を頼むよ」
「前半は悪くないが、最後の方は眠くて困った。疲れていたというのもあるけどね。でも、力石が握手をしようとしてそのまま死ぬというのは知っていたから、意外性も無かったし、刺激にならなかった」
「それで?」
「でも、刺激が無かった理由がこの映画にあるのか原作にあるのか分からない」
「そうか」
「でも、比較することで今更SPACE BATTLESHIP ヤマトの凄さを再確認できた。いろいろな意味でね」
オマケ §
「ジョーがトレーニング中に着ている白地に赤いアクセント(首回り中心)の入った服。ちょっとヤマトの戦闘版を連想させるな」
「確かにそんな感じの色使いだね」
「マーキングとしては違うのだけどね」
タイガーオマケ §
「作中には子供達が出てくるし、孤児の問題も出てくる。それが最近世を騒がせたタイガーマスクブームとかぶったのは痛かったかも知れない。完全にジョーのそういう側面が隠れてしまった」
「そこはタイミングが悪かったね」