「まだ続くのか」
「劇的な変化があったからだ」
「なに? 本屋のパソコン雑誌コーナーにAndroid本が増えた?」
「いや。先にAndroid本の状況を説明する。このあいだ府中の巨艦店で見たがAndroid本はとても多かった。しかし、タイトルはIS03であったり、Galaxyであったり、まちまちだ。素人が見てもAndroid本が多いという印象は全く受けないだろう」
「Android本はそこそこ多いのに、各機種対応なので印象がばらけてブームに見えないというわけだね」
「目立つものだけでおそらく10種ぐらいはあったと思うが、それでも素人が見るとブームには見えないだろう」
「そうか」
「そして、桜上水の本屋を今日のぞいたら、面出しして目立つ本に限れたゼロだった」
「えっ?」
「Android本の出版ブームは確かにあるが、それを受け止めて並べられるゆとりがあるのは巨艦店だけで、街の小さな本屋での存在感はゼロということだ」
「悩ましい状況だね」
「おいらが本屋で見てきた状況が以上だ。特に解釈もコメントも無い」
「無いのか」
「なぜなら、この文章の主題はそこに無いからだ」
新たな顔と新たなムック本、新たなブームが今旅に立つか? §
「主題ってなんだよ」
「Facebookだ」
「Facebookのムック本が増えているのか?」
「いや。府中の巨艦店では面出しして目立つのが1冊しかなかった」
「それなのになぜ?」
「その1冊が桜上水の啓文堂にも置いてあった」
「えっ?」
「目立つAndroidムックが1つもない桜上水の啓文堂なのに、Facebook本は面出しして置いてあった」
「それってどういうこと?」
「おそらく、出版点数が多いAndroidムックが売れることはあまり期待していないが、Facebookムックは出版点数が少なくとも売れることが期待されているのだろう」
「本当に?」
「さあな。実際のことは何も知らんぞ」
感想 §
「話がガラッと変わったね」
「ちぇんじん、がらっと~、という感じだ。幻の石炭飴を発見した気分だ」
「なんだよそれは」
「はぁ~。どすこい、どすこい」
「意味わかんないよ」
「だからさ、これまで以下のポイントで本屋を見てきた」
- iPhone/iPad対Androidという構図での勝者はどちらか?
- スマートフォンのブームは本当に存在するか?
- スマートフォンは本当に支持されているのか?
「うん」
「ここで、Facebookという参照光線を当てることで、『スマートフォンは本当に支持されているのか?』に答えが見えてきた」
「というと?」
「以上の状況をとりあえず仮に全て肯定するとしよう」
「仮にかよ」
「そうだ。どうせ真相なんて分かりっこないからな」
「分かった分かった。続けて」
「そうすると、スマートフォンへの注目は圧倒的にシーズがあるがニーズではない。Facebook本にシーズは無いがニーズがある」
「そうか。上手くシーズとニーズが噛み合ってないわけだね」
「しかも、これは以下のような印象に合致する」
- 具体的な知り合いの中でAndroid端末を買ったと言う人は、メーカーやマニア層に限られ、一般人ではほぼ皆無
「なるほど。『メーカーやマニア層』というのはシーズ側、一般人はニーズ側ってことだね」
「それから面白い話を聞いたよ」
「なに?」
「Android端末はガラケーより買うと安いそうだ。で、実際に携帯感覚でAndroid端末を持ってる人もいるけど、スマートフォンを分かって買っているわけではないようだ」
「そうか」
「あと、音質が悪くて普通の携帯と2台持ってる人もいるらしい」
「まあそこは機種にもよるのだろうけどね」
「でも、スマートフォンブームの正体が何となく見えてくる話だ」
「シーズ側が強引に押し込もうとすれば押し込めるけど、ニーズ側が受け止めているかは別問題ということだね」
「それよりも、世間の一般人の興味は映画ソーシャル・ネットワークなどで注目度が高まっているFacebookの方にあるのだろう」
「確かにそうかもね。いろんなサービスで今はTwitterとFacebookのアイコンがあるのに、日本ではTwitterほどFacebookの情報が揃ってない」
「うん。Facebookに関しては、日本の一般人レベルでは情報饑餓レベルにあるのかもしれない」
「Facebookなんて当たり前と思ってるシーズ側には意外だろうね。ではiPhone/iPad本ブームの次はFacebook本ブームになると予想するかい?」
「それは分からない。情報饑餓が解消された後で、まだニーズがあるかは不透明だ」
「そこは、まだまだ本屋ウォッチングを続けて見守りたい要素ってことだね」