先輩は最強だった。
テニス界の帝王と呼ばれ、後輩の僕らも鼻が高かった。何しろ、先輩は負けたことがない。どんな試合に出ても最強なのだ。
その最強さを妬んで、汚い試合をいくつも申し込まれた。そのたびに、先輩はそれを実力ではねのけた。そもそも、テニス・プレイヤーとしての格が違ったのだ。
そのうちに、先輩はオリンピックの代表選手にすらなれた。
後輩の僕らは一致団結して先輩を応援した。
ある日、マスコミの取材が来た。
「どうして、それほど強いのですか?」
先輩は答えた。
「人より多く練習しているからです」
マスコミは更に質問した。
「どうして、人より多く練習できるのですか?」
「苦行に絶えるのが好きだからです」
「どうして、苦行に絶えるのが好きなのですか?」
すると先輩は考え込んでから答えた。
「実はマゾだからです」
その場は笑い話で済んだが、僕らは真っ青になった。マゾだから、という理由は嘘では無い。
そういう意味で先輩は変態だったからだ。
僕らは、心配しながら先輩の行動を見守った。しかし、先輩は別に変態的な行動に出ることはなく、誠実に勝ち進んだ。
そして、あと1勝すれば金メダル、という段階に達した。
僕らは盛大に応援した。
試合前のインタビューで、先輩は「絶対勝ちます。任せてください」と堂々と叫んだ。
国家の命運が先輩の肩に掛かった。
しかし、先輩は落ち着いて自信たっぷりだった。
僕らは安心して応援に精を出した。それどころか、金メダルお祝いパーティーまで準備して、いろいろな注文を出した。あの先輩がベスト・コンディションで負けるはずはなかった。
ところが、いざ試合が始まってみると、先輩の惨敗だった。
いいところが1つもなく、無様なプレーで国家の威信を傷つけた。
バカ、アホ、役立たずと罵声を浴びせられ、先輩は退場した。
僕らは控え室から出てくる先輩を待ち構えた。落ち込んだ先輩を慰めたかったからだ。たとえ負けても先輩は僕らのヒーローだった。
ところが、控え室から出て来た先輩はすっきりと気持ちよくニコニコしていた。
「先輩! その顔はどうしたんですか!」
「俺の顔、どうかしたの?」
「凄く嬉しそうですよ」
「やっぱり顔に出ちゃうのかな」
「決勝戦、負けたんですよ!」
「うん。夢がなかったんだ」
「まさか、オリンピックの決勝戦に出ることが夢なんて言わないでくださいよ。みんな、勝利を期待してたんです」
「そうだろうね」
「分かっていて、どうして負けちゃったんですか!」
「だって俺の夢は、オリンピックの決勝に国家の威信を背負って出場して惨敗して罵声を浴びせられることだったんだもの」
「えっ?」
「国家レベルでみんなの期待を裏切ってののしられるのって、最高のマゾ的快感じゃないか!」
僕らは忘れていた。
惨敗の先輩は本物の変態だった。
裏切られた僕らはいっせいに先輩をののしったが、先輩の人生で最も気持ちいい時間はまだまだこれからだった。
(遠野秋彦・作 ©2011 TOHNO, Akihiko)