「ゲームをいかにして遊ぶのかは重大な問題である」
「ゲームの存在意義にも関係するね」
「そうだ。遊び方の提案が存在するのが良いゲームだ」
「それで?」
「うん。自分の遊び方はシステムと自分の限界への挑戦だな」
「どういうこと?」
「ゲームの成果は自分とゲームソフトと機材の関数として出てくる。数式にすると以下のような形だな」
「この瞬間に脱落した人も多いと思うぞ」
「放っておけ」
「それで?」
「ここに他人が入ることは実は無理では無い。あいつと俺とはどっちが強いのか、という疑問はあって当然だ。これを数式に表現するとこうなる」
- 成果=f(自分, ゲームソフト, 機材)-f(相手, ゲームソフト, 機材)
「それで?」
「ゲームソフトは同じである。機材も家庭用ゲーム機なら同じと見なせる。すると、数式は結局以下のように書き直せる」
「なるほど」
「しかし、実はチーム戦になるとこのような形式があまり意味を持たなくなってくる」
「どうして?」
「成果に対して不確定要因が入ってくるからだ。凄い成果が出ても他人のおかげかもしれないし、成果が出ないのが他人のせいかもしれない。もちろん、あいつと俺との強さの差も明確に出なくなってしまう」
「それは面白くないね」
「だからさ。ACAHでやろうとしているマルチプレイはイマイチ興味が沸かない。見ず知らずの他人と一緒に同じ陣営に所属して何かの成果を出しても、何が要因かはっきりしない。自分が貢献しているのか足を引っ張っているのかも明瞭ではない上に、自分がどの程度の強いのかも明確にならない」
「た、確かに……。それで、それを愚痴るためにこんなことを語ってるの?」
「まさか。面白い記事を見たからだよ」
「ふたつのゲームモードね」
「ストーリーに分岐があるのは分岐型であることを示すが、エクストラミッションやサバイバルミッションは、『仲間との協力が重要』ではなく、『機関砲を使いこなしてスピーディーにクリアすることが重要』という説明になっている」
「君の遊び方には有利じゃないか」
「まあな」
「じゃあ、AC3Dに期待?」
「少なくとも、非常に短い期間にACAHとAC3Dの2つのタイトルが出てくる理由が分かった。全く目指す方向が違うのだ。映像の迫力を出す代償にゲームとしての資質が後退したACAHに対して、アンチテーゼとしてゲーム性重視で進んでいくのがAC3Dなんだろう。たぶんな」
余談 §
「余談を1つ言うけどさ」
「なに?」
「ある程度以上規模の組織において、実は最初の批判は社内から出る。客じゃ無い。身内から出る」
「えー」
「いろいろな人間が寄り集まる組織ではそれが当たり前だ。ものの考え方が違う人が集まるのだから当然だ。だから、XXという組織は……と言いたがる人は多いが、実は無理がある」
「そうか。ACAH批判は実は最初にバンナム社内で起こっていた筈だということだね」
「それゆえに、AC3Dがそこにあるのだろう。たぶんな」
オマケ §
「AC3DはAC2の延長線上にあるのかACX2の延長線上にあるのか良く分からない」
「うん」
「でも、どっちにしてもツーの延長線なので、きっと通好みのゲームになるだろう」
「それって、ダジャレかよ」