小住職さまよりメッセージを頂いたのですが、意外と核心を付いた悩ましい要素があることに気づいたので、特に書きます。
名前: 小住職
本文:
こんばんは~。
実はオレもこの支流は気になってたんだ。流路跡は残ってないけど明らかに谷の地形だよね。
谷頭は日大鶴ヶ丘高校の敷地内なのかな・・・。整地されてるから想像の域を出ないけど。
けど谷筋は間違いなく高校の裏門に接続してるよね。高校の敷地に沿った北西側の道路が、ちょうど高校の裏門の所で一番低くなってるもんね。
そうそう、下流部は神田川右岸の水路跡に落ちてるね。
この落ちた先の水路跡だけど、やっぱり支流っていう解釈が正しいのかな。オレは勝手に「旧流路」って呼んでた。本流に沿って刻まれた水路跡は、面倒だから全部「旧流路」って呼んでるんだ(笑)。
あ、川俣先生も送電鉄塔が好きなんだ・・・。水路マニアの人って送電鉄塔マニアと重なるケースが多いみたいだね。
オレは水路が好きなくせに送電鉄塔には食指が動かないや(アマチュア無線のタワーなら興味を惹かれるけどさ)。
やっぱり送電鉄塔も接地抵抗の都合や用地確保の問題で水路沿いに設置されるんだろうね、多分。
さて。ポイントはここ。
「やっぱり支流っていう解釈が正しいのかな」
天然の河川を追いかけていると生じる当然の問題があります。
ある程度下流に行くと、高低差だけでは流路が明確に見えなくなります。なぜなら、「大雨等で増水したときに、流れが変わって、ある程度の幅の地域を流路が移動してしまう」からです。
だから川は移動するもの、という認識が「本来は」正しいはずです。
(実際、多摩川あたりになると今でも大雨で中洲の位置や形が変わってしまう。まして遠い昔には、狭山丘陵の北を流れていたはず)
「本来は」というのは、江戸時代のあたりでは既に農業のために水路を人為的に固定する作業が行われていたと思われるからです。
つまり、ここもかつては神田川であった可能性があり、旧流路と呼んで良い可能性もあります。あるいは、神田川であり得る範囲内の水路は全て神田川の一種として扱って良いのかも知れません。
そうすると、この「支流」という解釈もそれで良いのか悪いのか曖昧領域に突入してしまいます。
余談 §
ちなみに、鉄塔写真に水路跡が映っているケースがけっこうあり、水路跡写真に鉄塔が写っているケースもけっこうありますが、意識的に両者を連動して探索している人はほとんどいないと思います。
ちなみに、子供の頃はアマチュア無線のアンテナは探しましたね。コールブック持って近所を自転車でまわって。免許を取る前は無線のアンテナが物珍しかったので。まだアマチュア無線人口は多かったし、波長が短い帯域はあまり開拓されておらず、波長長い=アンテナが大きく見つけやすいケースも多かったと思います。