「friends もののけ島のナキを見てきた」
「昨日はヒッチコックの鳥を見たばかりじゃないか。連戦じゃないか」
「正月だからな」
「それで、なぜナキなんだ?」
「本当はイナズマイレブンを見るつもりだったが、最後の最後に迷ってナキを選んだ」
「なぜイナズマイレブン?」
「鳥は超渋い系だったので、次は超甘い系に行こうかと思った。どんな映画も見るまで分からないしな」
「なぜナキに変わったの?」
「見ておく必要があると思っていたが、イナズマイレブンより10分早く上映開始されて、その時間に間に合いそうだったから」
「それだけかよ」
「それだけ」
どんな映画も見るまで分からない §
「それで感想は?」
「どんな映画も見るまで分からない」
「は?」
「この映画は、もののけの島に人間の幼い子供が迷い込んで、怖いもののけが情にほだされて帰したくなくなって泣ける映画だろうと思っていた」
「えっ? 違うの?」
「違うのだ」
「まさか」
「そもそも、なぜfriendsと言う言葉が冠してあるのか」
「えっ?」
「だからさ。この映画の軸は、実は『迷い込んだ子供』ではなく、ナキとグンジョーの友情の物語だったのだ。『迷い込んだ子供』は主たるテーマではなく、物語を転がしていくドライビングフォースであり、重要だがそこが主テーマでは無かったのだ。事実、後半になると出番が少ない」
「えーっ。じゃあ泣ける映画っていうのは嘘かよ」
「嘘じゃ無い。実際泣ける。ただし、情が移った子供を手放すナキに泣ける……とは限らない。それだけだ」
3Dの魅力を再確認した §
「他には?」
「実は最近、3D上映に疑問を感じていた。高いだけで、それほど3Dの有り難みを感じない。むしろ、メガネが疲れるだけ」
「そうか」
「だから、3D映画でも2D上映でいいかも思っていた」
「でも違ったの?」
「うん。この映画は3Dであることの魅力があった。結局、ブームになって3D映画が増えたけど、3Dの使い方の上手い下手がやはり存在する。この映画は上手かった。そういうことだろう」
不期遭遇戦として §
「交戦を意図しない対立関係にある者どうしが遭遇して戦闘が発生するという不期遭遇戦の映画そのものであった」
「戦争映画なの?」
「そうじゃない。不期遭遇戦では相手の過大評価に陥るというセオリー通り。もののけ側も人間側も、過去に戦争をやってもののけを封じ込めたという歴史があるが、現在はどちらの陣営にも戦争を行う余力は無く弱体化している。それにも関わらず。どちらも敵を強大に過大評価して怯える」
「どういうこと?」
「単にキノコを採りたかっただけの少年がもののけの島に入り込んでしまう。戦争を行う意志などあるわけが無い。しかし、もののけ側は協定違反として全力で撃退してしまう。しかし、もののけ側の全力とは、もののけ2体による襲撃でしかない。人間側は膨大なもののけが増えて住んでいると危惧するが、実際は数えるほどしか生きてはいない」
予想外の展開 §
「さすがに、暴れるグンジョーの前に飛び出して、人間を守るナキという展開は予測できなかったな」
「人間対もののけという対立の図式が崩れ去る一瞬だね」
「世の中、そういう単純に割り切れる図式で動いているとは限らない」
「そうか」
「しかし、グンジョーの魅力は予想外だな。ある意味で彼がこの物語の主要な軸だ。ナキはとんだダメ野郎でさ。グンジョーが世話を焼かないとダメなんだ。いい友達だったんだよ」
「だから、friendsなんだね」
5や §
「番号を掛けるシーンが何回か出てくるが、ゴーヤのもののけが『5や』というネタなんだね」
「わはははは」