「永遠にと完結編の問題点は詰め込みすぎだと指摘した」
「うん」
「そこから考えると実は2520と復活編はそれをクリアしている」
「どうして?」
「OVAシリーズの2520と三部作の復活編は、圧倒的にストーリーの全長が延びているんだ」
「そうか」
「だからさ。復活編が凄く優れているのは、『サーシャもアルフォンも出てくる』という欲張りではないからなんだ。森雪はすぐ退場して出てこないし、美雪も序盤と終盤にしか出てこない。ヤマトの主たる戦闘には関与しない。関与してしまうサーシャとは大違いだ」
「でも、美雪は存在感があるよ」
「そりゃあダメパパを糾弾すれば存在感がある。でも、パパとの本格的な和解は描かれていない。その前にちょっと地球を救ってくるパパの話で今回は一貫しているからだ」
「その話は、あるとしても第2部以降ってことなんだね」
「そうだ。欲張りすぎなかったのが復活編の勝因だ」
そう思えば §
「そう思うなら、全部描かないで良かった新たなる旅立ちも、欲張りすぎという病魔から逃れられて良かったのかも知れない」
「あくまで次回作のプロローグで、無理な話は全部先送りに出来たわけだね」
「それでも一部はこぼれたけどな」
「ぎゃふん」
オマケ §
「そもそも、1985年『デスラーズ・ウォー』、1986年『戦艦スターシャ』、1987年『宇宙戦艦ヤマト誕生編』という構想も一種の3部作だったのかも知れない」
「問題意識は古そうだってことだね」
「でも、実行は難しかったのだろう」