メッセージを頂きました。
しかも2つも。
それなのに、方向性が逆向き。
こちらの推定ラインはどうなっちゃうのだ!?
否定 §
Subject: 善福寺池に流れ込む水路跡の正体!?
Keyword: 【▲→川俣晶の縁側→歴史と文化→下高井戸周辺史雑記】
URL: http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20120216004522
名前: て
本文:
度々です。
善福寺池への分水は、『 伊勢橋・六ケ村分水口』と呼ばれ、現在の
練馬区関町南3丁目1番付近でした。
粗、真直ぐ南下して善福寺池に補水していました。
最初から、お知らせしないで、失礼致しました…
追伸:井草民族資料館
~確か開館日が限られ、とても少ないので、ご注意を!
肯定 §
Subject: 善福寺池に流れ込む水路跡の正体!?
Keyword: 【▲→川俣晶の縁側→歴史と文化→下高井戸周辺史雑記】
URL: http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20120216004522
名前: 小住職
本文:
こんばんは~。
源流域の湧水点よりも上流に水路がある例・・・妙正寺川がまさにそ
のパターンだよね。ちょっと話がズレるけど、妙正寺川は右岸からも左岸からも千川上水
水系の助水が数多くあるんだ。それに加えて上流側の起点となる妙正寺公園の池のさらに上流からも今川支流、桃井支流、井草川なんかが落ちてきてるよね。
これを踏まえて。
川俣先生が直感したとおり、善福寺川も水源のさらに上流から助水を得ていたパターンがありえると思うよ。
今回の記事の地図にプロットされたH地点は六ヶ村分水そのものだもんね。川俣先生が想定した通水経路とオレが想定していたそれとがピッタリ一致したよ(笑)。
玉川上水は偉大な水だよね。「て」さんが仰るとおり色々な場所でそのファミリーを見ることができる。
千川上水が板橋区に下って王子分水になって、さらに助水を分けて谷田川へ落ちて、御徒町から下町へ流れて蔵前で隅田川へ・・・。すべてをトレースしようと思ったら時間がいくらあっても足りないぐらいだ(笑)。
私の考え §
さて、私の考えは以下の通り。
- 「練馬区関町南3丁目1番付近」からの流路も確かにありそうだ
- かといって、それを採用すると宙に浮いてしまう流路もあるようだ
- 結局、両方あったのかもしれない (時代状況で変化した可能性もある)
網の目のように複数水路が入り組んでいるのが古い農地のよくある姿。そう思えば、たった1つの水路に解釈を収斂させる必要も無いわけですね。しかも、痕跡が残りにくい人工水路なら尚更です。
余談 §
妙正寺池に行ったときに駅まで歩いた水路跡が、まさに更に上流側になるわけですね。徐々に見えてきました。しかも、玉川上水の水で自宅の近所を水でつながっているわけです。
(通船を認めれば交通に便利……なわけがない)