すごく今さらな小さな話題かと思いきや。リアクションが強くてびっくり。
名前: て
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川俣さん。こんばんは。
以前から、このマンホールと細い空間~気になっていました。
弁天池に玉川上水から補水されたと考えると、丁度の場所です。
京王線の線路の向こう側では、小さいコンクリ暗渠の様な流れが、北西に玉川上水を目指します。
(上手く表現できませんが、只の側溝にしては、交差点、曲がり角等、とても古く感じました)
これだけ大げさに言って、只の雨水用だったら恥ずかしいのですが…資料も色々図書館に通いましたが見つかりませんでした。江戸時代でなく、明治大正昭和でも良いのですが…
大抵の池には補水が、あった事を考えると怪しいですね。下水道地図にも、それらしい物も見当たりません。
以前に勇気を出してピンポーンしたのですが、お留守でした…
線路の向こうは未探索でした。何せそのときは他の用事で通りかかっただけなので。もう一度線路の向こう側は見に行く価値がありそうですね。
ちなみに線路の向こう側はマンション銀座になって、いかにも水っぽい雰囲気です。妙にひっかかっていましたが、つながっているかもしれません。
名前: きむらたかし@三田用水
本文:
やはりありましたか。
1/10000、昭和4年「経堂」でも、弁天池のさらに上流。京王線方向に向かって水田記号がありますので。
京王線建設前の詳細な地図か航空写真が欲しいところです。あれば一発で分かりますが、かなり難しいですね。タイムマシンで直接見に行きたいところです。
他の小河川でも同じですが、地図に記載されていない事例が多すぎて、本当に身もだえします(笑)
更に考察を続ける §
というわけで弁天池が実在したことは確かです。しかし、それより上流部が存在した理由は何か。雰囲気として、更に上流部に湿地があったことは間違いないように思います。弁天池が天然の池なのかはともかく、上流部が存在した時の役目は農業用水の調整池だったのではないか、と思えてきました。京王線が通って水路が分断されてしまったので、いかにも水源地に見えますが、本当は違うかもしれません。もし、純粋に人造の調整池とすれば、土木技術に優れた人たちがこのあたりに住んでいたことになり、桜上水Confidentialさんの推定とも関連してきます。