「彬良さんはあまりアニメの音楽をやってない」
「そうだね」
「じゃあ、どれが彬良サウンドか分かるかい?」
「ヤマトIIIの宮川彬良曲とか聞いたよ」
「ヤマト以外で」
「えーとそうだな。確か真マジンガー 衝撃! Z編がそうだよね」
「じゃあ、ヤマト以外で最初にやったアニメはなんだ?」
「知らない」
「うっかり大草原の小さな天使 ブッシュベイビーなんてものを書いて偶然気付いてしまった」
「何だよ」
「ブッシュベイビーといえば、谷村新司の壮大すぎるアポロが印象に残ってしまうが、音楽は宮川彬良さんだったのだ。第1話がYouTubeにあったからちょっと見たけど、BGMのサウンドが凄くリズム的にいい。ちょっと凝り過ぎというぐらいのいいもの」
「えー」
「ブッシュベイビーは1992年なので、かなり古い。肩に力を入れ過ぎてやってる印象がありありだけど、その分だけリズムが行きすぎていて楽しめる」
「行きすぎて楽しめるのかよ」
「そりゃあ、凡庸なリズムより楽しいぞ」
「それでブッシュベイビーってどんなアニメ?」
「主人公がジャッキー」
「ジャッキー・チェンか!」
「それはジャッキー違い。ジャッキーはズボン系の活発な女の子」
「それでベイビーが出てくるのだね? 小学四年生がママになって」
「それはママは小学四年生」
オマケ §
「ブッシュベイビーも脚本は宮崎晃さんなので見応えがあるかも知れない」
「誰それ?」
「名劇中興の祖の1人だな」
「そんなに凄い人なの?」
「牧場の少女カトリなんて、家畜番の少女が主人公のはずなのに、フィンランドの独立戦争とかバックグラウンドで進行していて、親しく付き合う年上の好青年が革命家だったりするしな。かなり激烈なところがあるぞ」
「ひ~」
オマケ2 §
「電撃ホビーマガジンはオマケのケストレルのコンテストをやるみたいだ。自由に塗る部門もあるみたいだから、こっちも自由に塗ったのが丁度あるし、写真を送ってみようかな。まだ未完成だけど」
「原作知らない君がなんと言って送る気かい?」
「そうだな」
Q: どういう設定の塗装ですか?
A: 特にありません
Q: 原作の好きなところを教えて下さい
A: 知りません
Q: 原作の好きなメカを教えて下さい
A: 知りません
Q: 原作の好きなキャラを教えて下さい
A: 知りません
Q: なぜ作ろうと思ったのですか?
A: 思い入れがないと好き勝手に塗れるから。楽しかったですよ
Q: ちゃんとつなぎ目の処理をしてますか?
A: してません。アニメ塗りをしないで、ぺたぺた荒っぽく筆塗りすると目だないからそれでいいのです
Q: ひょっとしてガンプラなめてますか?
A: はい
Q: ひょっとしてガンダムなめてますか?
A: はい
Q: ひょっとしてガンダム嫌いですか?
A: はい
Q: ……
A: 2199の第二章は楽しみですね!
「これはまずいだろ。さすがに」
「そうだな。これはやめておこう」
「やめとけやめとけ」
オマケ褒め論 §
名前: トモネコ
本文:
ヤマトに関係の無い話ですみません。
(プライバシーに関わる部分は割愛)
最近このサイトに、たびたび登場させて頂き気付いた事があります。
それは褒める事を他の人に伝える難しさです。
例えば、イチロー選手に「野球が上手いですね」と言ってしまえば、逆に失礼になってしまいます。イチロー選手を的確に褒めるには、野球とメジャーに詳しくなければ出来ません。
反対にけなす事は簡単です。
連続200本安打記録が途切れてもうダメだとか、もう年齢的な問題でダメなど野球に詳しくなくとも悪口とけなす事は容易です。
トーノ様はヤマトを語るとき、決してけなさず、どの作品にも同様なスタンスで接し(意見を言う事とけなす事は違う)幅広い視野と柔軟な思考で、ヤマトにメッセージを発信され続けてこられました。
トーノ様は本当に沢山の思考のポケットをお持ちだと感じます。
しかもそのポケットは大きく深く中には沢山の素晴らしい物が、ぎっしりと入っています。
「褒めても何も出ないよ」と言われましたが、私にとってこのサイトに取り上げて頂いている事自体が、最高の名誉で身に余る光栄です。
「ヤマト」という作品がなければ絶対にこのような機会は無かったと思います。
「ヤマト」にも感謝です!
「野球がお上手ですね」になってにいなければ良かったのですが(汗)
「あらしのよるに」の原作の絵本は、私が大ファンだった小説家の椎名誠さんの娘さんが大好きで何度も読み聞かせたそうです。
毎度ダラダラとスミマセン(大汗)
それではまた
「さて、ヤマトとはやや離れるがこの話題は追求しておく価値があるだろう」
「なぜ?」
「2199が開いたパンドラの箱が送り出す奔流に耐えるには、実はヤマトではなく自分をしっかり持つことが重要だと思うからだ」
「良く分からないけど、ヤマトよりも自分が大切なの?」
「そうだ。なぜなら、ヤマトはいくつもあるが、自分は1つだから」
「じゃあ、褒めるという問題から取り上げてよ」
「実は褒めるのは凄く難しい。なぜなら、褒めて相手を怒らせることもあるからだ」
「えー。好意的に相手を褒めているのに、それが怒らせる契機になるかもしれないの?」
「そうだ。たとえば、紫電改の三四三空はベテランを集めて強かった、というと褒めているように聞こえるが、ベテランを引き抜かれてガタガタになった飛行隊からすれば怨嗟の対象だろう。事実かは知らないが、あくまでたとえ話として」
「ひ~」
「だからその場合、褒めることが相手に好感を持たれるなんてことは期待してはいけない。あくまで、『私はあなたのこれが良かった』と言うのみだ。つまり『あなたの受け止め方とは関係なく、私は良かった』と言うしか無い」
「なるほど。だから、『自分をしっかり持つことが重要』という話につながるんだね」
「だからさ。作者自ら『これはイマイチ』と言ったとしても、自分が良いと思えば褒める。それだけだ」
「かなり屈折しているね」
「そうさ。この問題はとても屈折している」
「ところで、上の電撃の話で、思いっきりガンダムけなしてるけどいいのかよ」
「それは知らない。ヤマトだってけっこう不満をぶちまけてるしな。それでいいのかは自分には分からない」
「えー」
「こちらも公平じゃない。その点ははっきりとさせておこう。特にガンダムとロボットと萌えに対しては非常に厳しいぞ。きっと納得してない人も多いと思う」
「納得できないようなことをなぜ言うんだよ」
「だってオレの感想なんだから。他人の感想じゃないし」
「ひ~」
「話を変えよう」
「じゃあ、君自身ポケットは多いと思う?」
「それほど多いとは思わない。そもそも、本屋に行って見かける本の大多数は、読みもしないわけだし。知らないことは膨大に存在する」
「じゃあ、なぜ山ほど映画を見てそれらを受容できるの?」
「良く出来た映画というのは、万人に何かを伝えようとして作られている。そのための共通チャンネルがあって、そこにチューニングすればある程度は受容できるはずなのだ」
「でも受容できない人も多いよ」
「チューニングをしてないからだ」
「受け手の問題なのかよ」
「たとえば、ウルトラマンを期待して仮面ライダーを見ても面白くない。巨大化するカタルシスが無いから欠陥品だと思ってしまうかもしれない。でも、仮面ライダーの売りは巨大化ではなく、トランポリンを使ったアクションだ。そこを見なければ意味が無い」
「分かった。10チャンネルにチューニングして見ないとダメなのに、6チャンネルにチューニングしてはダメなんだね?」
「そのチャンネルは関東人しか分からないからダメだよ」
「ぎゃふん」
「ガンダムなら最後はビームサーベルで相手を斬るのが見せ場だが、ヤマトなら斬ることはできない。手が無いのだから。見せ場が違うのだ。そこは最初から違うとして受け止めるしかない。ヤマトの見せ場はそもそも戦いにない」
「万一違わないとしたら?」
「その時はそもそも存在意義が無かった、ということだ」
「ぎゃふん」
「あるいはさ。昔のショッカーは日本の征服を狙っていたが、仮面ライダーフォーゼの敵は学園規模だ。スケールが小さい。しかし、フォーゼの『全ての生徒と友達になる』という野望は実現がとても難しいほど大きい。主観というフィルタを入れると、フォーゼのスケールが小さいとは言えなくなる。あれはあれで遠大なのだ」
「要約するとどうなるの?」
「つまらなくしようと思って映画を作る奴はいない。意図が滑ってつまらなくなることはあるけどね。とすれば、どこかに面白がらせるツボがあるはずだ。それを見出せるか否か、そこを競い合うのがポイントだ」
「2199だとどこで競っているの?」
「だから、設定の変更やストーリーの変更などがあれば、なぜ変更するのか理由を考える。それが好みか否かは、ちょっと横に置く」
「置いていいのかよ」
「どのみち他人の好みは自分と違う」
「その結果どうなるの?」
「以下のどれかにはなるな」
- なるほどと思って好きになる
- なるほどと思うが、別に好きにならない
- 理由が分からないまま
「じゃあ、2199はどれにあたるの?」
「その答えは最終回まで保留だ」
「ケチっ」
「見てもいないエピソードが多いのに結論を言ったらおかしいだろ?」
「酸っぱいぶどうか!」
遠野オマ彦 §
「遠野秋彦さんは、ヤマトの小説書かないの?」
「もう書いたと言われた」
「時に2004年12月23日……、復活編すらまだ無い頃か!」
「ヤマト復活はこっちの方が早いと胸を張られたが、ヤマト復活してねえ!」
「というか、宇宙戦艦『山と渓谷』って……どうなんだよ」
「ですます」