2012年05月13日
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下高井戸2丁目6水路仮説

Written By: 川俣 晶連絡先

「いきなりご近所に戻ってきたぞ」

「ここは下高井戸に近いどころではなく下高井戸そのものだ」

「何があったの?」

「この場所が落ちくぼんでいることに気付いた」

「それで?」

「水路が存在したが、玉川上水の建設で寸断されて消滅した想定した」

「その仮定に何かメリットがあるの?」

「あるのだ。下記の地図の道がD点で切れている。そこで90度南に曲がっているのだ」

「つまりどういうこと?」

「以下の水路を推定すると辻褄が合う」

「水路を避けて道路が曲がっていたということだね」

「そうだ。ただし、江戸時代のそれほど遅くない時期にこの水路は消滅、水路を前提としない形でいろいろと道路と地形が改修されている思われる」

「たとえば?」

「勾配を緩和するために、坂の上の部分を東に曲げるとかね。それをやると水路の経路とぶつかってしまうが、水路の廃止後なら関係ない」

上流部の推定 §

「どうも、西に窪地は曲がっているようなので、こんな感じで上流部は続いているかもしれない。かなりラフな推定だ」

「goo地図の昭和22年で見ると、周囲は宅地なのにそこだけ農地が残っている。そこに水源があったのかもしれない」

「水が無いと農業ができないってことだね」

昭和22年

水はどこに流れた? §

「水路が切られても水源が残っていたら水が出てくるよね。その水はどこに行ったんだい?」

「北沢川方面に流す経路があったのではないか、と思う」

「確かに南に辿ると農地が多いね」

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