「珍しく興味深い文章を見たぞ」
「要するに何を言っているの?」
「GPLの採用が急速に減っているそうだ」
「GPLって自由の味方なんだろ?」
「フリーの名を冠する団体が扱っているからな。フリーとは自由だ。そう思うのも無理はない。でもそうなんだろうか」
「違うの?」
「まずGPLというライセンス。自分の例でいうと、おそらく1995年の段階で最初に使っている。自分で作成してソースを付けて公開したソフトに付けたライセンスだ」
「その時点で既にOSSをやってたわけ?」
「ちちち。OSSという言葉が生まれるはるか以前の話だ」
「じゃあ、OSSの父と名乗れよ」
「イヤだね。だって、ソースを付けてGPLで公開されたソフトは当時としても当たり前だったからだ」
「えー」
「問題はここから。このソフトは次のバージョンアップの時、すぐにGPLをやめてもっと緩いライセンスに切り替えた。GPLは制約がきつくて凄く使いにくいから、もっと自由にした。床にツバを吐こうと猫を盗賊呼ばわりしようと自由だ」
「あれ。GPLは自由じゃないの?」
「そう。とても制約がきつい。自由を標榜しながら自由にはほど遠い」
「じゃあ、支持されなくて当然じゃないか」
「その通り。支持されないのが当たり前」
「でもさ。これまでは支持されてきたんだろ?」
「うん。だからさ。誰が支持したんだろう?」
「えっ?」
「技術者の視点からは、ソースが自由に使えることがもっとも良い。しかしGPLはその条件を満たさない。自由に使えますよ、と宣伝されているが実際に使い始めると制約だらけでイヤになる」
「どういうことなんだろう?」
「既存の秩序を叩いて既存勢力を弱体化させ、ビジネスがこぼれ落ちてくるのを待っていた勢力じゃないかな」
「今はどうなんだい?」
「彼らはおそらく流行遅れのPCの世界からスマホの世界に行ってしまったのだろう」
「そうするとGPLは支持されないわけ?」
「PCの世界に残ったのは純粋に技術を扱う人が多いのだろう。そうなるとGPLは彼らの自由の敵になる。息をするぐらい当たり前にソースを扱うのに、箸の上げ下ろしにまでいちいち注文を付けるような息苦しいライセンスなど、嬉しいものか」
「ちょっとまてよ。君は1995年の段階でそれに気付いてGPLの採用を取りやめたんだね?」
「そうそう。あれは自由の敵だからね。こっちは『どうぞこのソースを自由に使って下さい』という意味で公開したのに、その意図をむしろ制約してしまう邪魔者だったんだ。だから採用を取りやめた」
「ひぇ~。OSS信者には聴かせられない言葉だよ」
「ちなみに、その後でGPLを採用したソースは1件しかない。他人のソースが入ったので、後々の問題を考えてGPLにしておいた。それだけ。他に他者からのソースの提供なんてほとんど皆無。自分だけで自分の書いたソースのライセンスを決めて問題なし」
「じゃあ、君の考えはどうなんだ?」
「ソースコードには公開して良いものと不適切なものがある。これは当たり前。全部公開しろというのはただの無謀。そういう意味で、公開に差し支えないコードは今後も公開していくだろうが、GPLにはしないだろう。これまでもGPLにしていないし、今後もGPLにしないだろう。話はそれだけ。10年以上前に既に決着した古い問題」