2012年05月23日
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小田原衆所領役帳と高井堂

Written By: 川俣 晶連絡先

 神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!さんの下高井戸にて、小田原衆所領役帳という資料に言及されていました。

 調べてみると、近代になって出版された本が図書館などに所蔵されていて割と気軽にチェックできそうなので杉並中央図書館の2階の資料室までえっちらおっちら自転車を漕いで行ってきました。

註集小田原衆所領役帳 (東京市役所、昭和11年) §

 いくつかの出ているようですが、資料室にあった版はこれ。開架ですぐ見られます。(実は司書に方に探してもらったけれど)。

 そして、ありました。高井堂に関する記述。

小田原衆所領役帳

 文章はまだきちんと解釈できてはいません。

 ちなみに、大橋はおそらく人名。無連はおそらく牟礼(三鷹市)のこと。

三鷹市より

牟礼 - 史料に出てくるものとしては、三鷹市の中で最も古い地名。1559年(永禄2年)に編纂された『小田原衆所領役帳』には「無連」としてその名が記されている。由来については諸説あるが、いずれも定かではない。

 正確な表記は2点しんにょうで、この無連と同じか確認していませんが、同じ『小田原衆所領役帳』の名前があるので、おそらく同じでしょう。

若干の考察 §

 大橋に関しては良く分かりませんが、大橋ジャンクションの大橋だとすると、高井戸から北沢川経由で直結。玉川上水と甲州街道があれば高井戸は新宿と直結ですが、この時代はどちらも無いので北沢川か神田川です。しかし、WikiPediaの大橋の説明は橋が由来で人名ではなく、あまり関係ないかな。(大橋方面に大橋さんが多ければ話は変わるけれど)

 牟礼に関しては、神田川と人見街道で直結する上流部で関係は大ありでしょうね。おそらく、神田川に沿って拡大発展した巨大な村があり、時間の経過とともに下流方向に独立した村を作ったり、村そのものが分割されて数を増やしていったのでは無いかと思います。つまり、高井戸が上下高井戸に別れる前に段階でも、村の分割や分村作成は進行していたのでは無いかとも思われます。とすれば、高井戸や牟礼をまとめた原型としての仮称『原神田川村』の存在が想定できます。

 あるいは、まとめて扱うのに便利な村をまとめてもらっただけ、あるいは支配下に置いただけ、かもしれませんが。

 さて。問題の地名の問題ですが。

 高井堂があり、高井土があり、高井戸があるということは、やはり普遍の高井という部分が気になります。高井さん由来という可能性もやはりあり得るでしょう。しかし、神田川系の土地と思うと、低地を含んでしまうので、高い土地が由来にあるというのは比較的考えにくい話です。(無いとも言いきれないが)

疑問 §

 ちなみに、同じページの無蓮、無蓮村は誤記かもしれないので、サイトに確認をお願いする連絡をしておきました。あ、ついでに1530年代の記録が何を示しているか質問しておけば良かったかな。

 2012/05/24追記 すぎなみ学倶楽部は訂正されました。

感想 §

 些細なたった1つの言葉からいきなりスケールの大きな話に繋がった!

 しかし、すぎなみ学倶楽部の無蓮が誤記であるとすれば、長らく訂正されていないのは、高井戸の地名の問題を真面目に考えている人がどれだけ少ないかが良く分かる傍証という気がしますね。特に高井堂の名前に付随して出てくるとはいえ、高井戸とはかなり遠い牟礼の話では。

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