2012年05月27日
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小田原衆所領役帳と牟礼

Written By: 川俣 晶連絡先

 小田原衆所領役帳に大橋さんの無連高井堂と書かれてしまったので、これは無連(牟礼)を捨て置けないと思ってもう一度杉並中央図書館(資料室)に行って「註集小田原衆所領役帳 (東京市役所、昭和11年)」を見てきました。開架だからすぐ見られます。

分かったこと §

 実は漠然と無連に関する単独の記述があると思っていたのですが、実際には大橋さんの無連高井堂が無連に関する記述のすべてであるようです。

 こうなると牟礼史が気になるところですが、実は牟礼は三鷹市。杉並の図書館ではあまり良く分かりません。三鷹の図書館まで行って見る必要があるのかなあ。

無連高井堂 §

 無連高井堂は「無連高井堂」なのか「無連」+「高井堂」なのか。

 戦国時代には大橋さんが支配する「無連高井堂」という地域が成立していたと見るべきなのか。

 しかし、この地域は江戸時代に入った時点で解体されているわけです。乗り込んで来た戦勝者が、敗者の土地を接収して支配したわけで、ここで大橋さんは退場でしょう。そして、支配の常套手段は「分割して統治せよ」なので、この地域は分断されます。

 すると、江戸時代になって甲州街道が通り上下高井戸宿が成立するのが、まるで厚遇されいるようで奇異に思えますが、実際には厚遇ではなく苦行でしょう。負担ばかり大きい苦行でしょう。

 そのように考えると、新宿の成立で上下高井戸は弱体化を始めたというよりも、江戸時代に入った時点で既に弱体化が開始されていたと見るべきかもしれません。

とすれば §

 とすれば気になるのは無連高井堂という土地が示す場所が、牟礼から下高井戸までのすべての土地を包含するのか否かです。それでかなり面積に差が出ます。中間の土地の歴史も気になるところです。

感想 §

 「下高井戸のことさえ分かれば他の土地の詳しいことはいいです」という態度でいたら、どんどん把握すべき地域が広がって破綻しそうだ!

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