2012年06月27日
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おそらく下高井戸村と永福寺村は土地を交換している

Written By: 川俣 晶連絡先

神田上水之元絵図は、検討の結果、今のところ字池袋周辺については説明できるものの、久我山村から先の上流部は全く説明できないことが分かった。ともかく、上流端から出る牟礼村用水が説明できないし、他に存在するはずの水路が描かれていない問題もある。ともかく解釈不能だ」

「えー」

「字池袋が完全に解釈できたので、他も解釈できるかと思ったら違った。残念」

「字池袋は解釈できたの?」

「『杉並の地名』に伝承ごと詳しく出ていた」

「ナイスタイミングで入手したね」

「ところが、そこから下流に行くとまた悩ましい。明らかに下高井戸村と永福寺村の境界が解釈不能の位置にある」

「どう解釈できたの?」

「神田川の途中に境界がある。しかし、実際は神田川こそが境界であるはずだ……と思ったところで目から鱗が落ちた」

「えっ?」

「上高井戸村は上北沢村と土地を交換した。宿場のためだ。同じように、下高井戸村も永福寺村と土地を交換しているのではないか。そう解釈すると筋が通る」

「具体的には?」

「下高井戸2丁目方面の東方への突出部分、そこは本来永福寺村だったのではないか」

「それで?」

「甲州街道に沿った土地をまとめて手に入れると同時に、神田川北岸の土地を手放したのではないか」

「本当なら凄いね」

「更にもう1つオマケが付く」

「それは何?」

「下高井戸分水の『分水は隣村の小川に落ちるという記述』という表現が解釈可能になるのだ」

「どういうこと?」

「現在の下高井戸の一部が永福寺村だったとするとそこは隣村だ。そして、現在下高井戸として認識されている神田川支流との合流点が隣村なら、この記述がストレートに解釈可能になる」

「なるほど。筋が通ってきたね」

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