「なぜ桐島なんだ? というか、そもそも『桐島、部活やめるってよ』ってそれは映画なのか?」
「直球勝負の映画は見たくない気分だった」
「は?」
「だから、ハリウッド超大作も、ポケモン15周年超大作もパスしてこちらに行った」
「えー」
「更に言えば、もう1つの理由はこれだ。TOHOシネマズのサイトにあった映画紹介文」
「不在の桐島」に振り回される103分。【歪み】はじめる人間関係。観終わった後、あなたは何を感じるか―。ありふれた時間が校舎に流れる、「金曜日」の放課後。学校内の誰もが認める“スター”桐島が、部活を辞めるというニュースが校内を駆け巡った。彼女さえも連絡がとれずその理由を知らされぬまま、あらゆる部活、クラスの人間関係に波紋が広がっていく。時間軸と視点を変えて同じシーンを何度も繰り返して進んでいくストーリーは、桐島不在のまま展開。「桐島って誰?」「桐島ってどんな人?」と観客までを巻き込み、登場人物さながら、観客もまた、最後まで桐島に振り回されていく。
「なんだよこれは」
「だからさ。この映画は『桐島、部活やめるってよ』というタイトルであるにも関わらず、桐島が出てこない」
「は?」
「中心が空虚なんだ」
「どういうことだよ」
「明らかに主人公が苦難を乗り越えて勝つタイプの映画ではない。何しろタイトルに出てくる桐島が出てこないのだから」
「まさか」
「それどころか、普通の起承転結すらない。決まった1人の主人公すらいない。大事件が起きてそれを解決するわけではない。何かが大きく変わるわけでもない。映画は終わるべくして終わるわけで、確かに終わるべくして終わった。しかし、終わったことで何かが解決されたのかといえば、そういうわけでもない」
構成 §
「ともかく先が読めない構成だった。何回も金曜日が繰り返されて、『ミッション: 8ミニッツ』のように同じ時間が繰り返される映画かと思いきや途中で急に翌日以降に進む。でもまた最後に反復する」
「読めないのか」
「まるで読めなかったよ」
「具体的には?」
「普通の映画だと起承転結が見ていて分かる。ところがこの映画はさっぱり分からなかった。全体のどのあたりなのかも分からなかった」
複雑さ §
「登場人物が多く、設定が複雑で覚えきれないと思った」
「そこは欠点?」
「ところが、同じ出来事を別の視点で執拗に繰り返し描くので、だんだん分かってしまった」
「えー」
「そういう構成なんだよ」
8ミリフィルム §
「8ミリビデオでは無く8ミリフィルムのカメラが出てくる」
「えー」
「あれは8ミリかねえ、と思って見ていたら最後に8ミリの話題が出てきて納得した。作中の映研部長が持つのは8ミリフィルムのカメラだ」
映画論 §
「顧問の先生が言う半径1kmでテーマを探せという主張は実は良く分かる。探す気になれば、いくらでも身近にテーマは見つかる。でも、生徒側が突っぱねてゾンビ映画を作ろうとするのも良く分かる。子供というのはそういうものだ」
「なぜそうなるの?」
「子供は見落としが多いんだよ。見落としが多いからスカスカになる。それを埋めるには、奇抜な設定が必用だ」
「えー」
「だから、正論で説いても子供は付いてこない。その点で、顧問の対処は間違っている」
「じゃあ、映画としてはダメなの?」
「そうじゃない。大人の限界も子供の限界も描いてある良い映画だ」
スカート論 §
「スカートが短い女学生がいっぱい見られてオジサンのスケベ心も満足」
「えー」
「でもロケ地はさっぱり分からない。見知った場所が全く出てこない。おそらく、あれは高知なんだろうね」
まとめ §
「ぐだぐだで未来が無い若者達の限定された時間を描いた群像劇という意味では、アメリカン・グラフィティに近いのだろう。しかし、最後に飛行機で飛び立つシーンに相当する展開が存在しない。何も開放されず昇華されず、ぐだぐだのまま終わる。唯一ヒーローらしい存在である桐島は結局最後まで出てきて喋らない。何らかの欠陥、挫折を持つ者しか出てこない」
「だから負けているといいたいの?」
「いや、その方がいい。救いがあまり無いこの映画の方がずっと面白いぞ」
「ひ~」