2012年08月23日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記total 1277 count

トロッコはすぐ近くにあった・これで謎は解けたか!?

Written By: 川俣 晶連絡先

「素晴らしい! 上北沢の水路について教えて下さった方だ。名前は伏せて引用させて頂く」

廃線趣味のお話をひとつ。

現在首都高4号線が甲州街道から分岐している松原分場の辺り、玉川上水がまだ土盛りの暗渠だったころ、(昭和42~45年頃)その土盛りの上にトロッコの軌道が延々現在の環状八号まで単線で伸びておりました。

軌間は判りませんが、多分762mmかとおもわれますが、使用していたレールが結構大降りな物との記憶が御座います。(30kg/m位の感じでした。故郷に森林鉄道があり、そのレールより太かった記憶です)線路に分岐はなく一本線で、土工用のトロッコが1台きりありました。なぜに鮮明に覚えているかともうしますと、そのトロッコを近所の連中と押しして遊び、環八まで行ったためです。何回か遊んでいるうちに、工事中の環八の終点に突っ込み、工事人足にどなられておいかけられたために、記憶に焼きついております。面白いことに、上北沢側から環八側へは大した勾配もなく、子供4~5人で押せたことです。反対は結構スピードが出てしまい、崖下に転落させたこともありました。(いつのまにかトロッコは復線していましたが)

昭和46か47年ごろに、首都高速の工事が本格化して消滅したようです。

補足致しますと、メール中の、トロの形は土運び用の低い台形ではなく、かなり背が高い箱形で、木製でした。連結器は無かったです。

軌道の幅ももしかすると、762ではなく610かそれ以下だったかもしれません。

鉄道趣味人や廃線趣味の人も、今のところは誰も知らないです。

その当時の悪がきが記憶しているだけの話です。

写真もありませんが、スケッチならいつかお見せできると存じます。

何卒宜しくお願い申し上げます。

「トロッコか」

「芥川龍之介のトロッコみたいな世界がほとんど目の前にあったのだ。しかし、子どもの頃の行動範囲にはそこが含まれないのだ。惜しいことをした」

「この話がどうしたのだ?」

「だからさ。これだ」

「この話がどうしたの?」

「時期と場所がピッタリ合うのだ」

「えっ?」

「日本の鉄道模型界で1970年代後期にあったナローゲージのブーム。乗工社のショールームはつつじヶ丘、当初製品を扱っていたのは方南町の珊瑚模型。珊瑚模型は一時的に八幡山駅の高架下に始点を持っていた。そして桜上水在住だった元マイクロソフトの重役の古川享さんもなぜかアメリカに行ってナローゲージ三昧。もちろん、下高井戸の自分もナローゲージに傾倒したのだが、これらの話には中心が無い」

「中心が無い?」

「なぜ話が杉並世田谷調布方面に集中するのか、その根拠が見えてこない。範囲にして、自転車で1時間走れば行ける位の距離だ。これは狭い」

「なるほど」

「しかし、上北沢にトロッコがあったとすれば、それが中心になる」

「玉川上水の埋め立てられた場所が中心になるわけだね」

「時期的にも、そこからの影響がブームになって開花したと思えば丁度いい」

「問題は、ブームの時に話題になったのは木曽森林鉄道や草軽電気鉄道だよ」

「ある意味で当然だ。手押しトロッコは、『軌間が狭い線路への興味を持つ発端』にはなれど、あまり『鉄道趣味』には結びつかない。逆に、木曽森林鉄道や草軽電気鉄道はマニアが追いかけていて、資料などもかなりあるようだ」

「君はトロッコを知らなかったじゃないか」

「自分は巻き込まれた側だからな。この関係者の全員がトロッコを知っているとは限らないが、トロッコを知る者の勢いに巻き込まれていた可能性もある。地理的に近いからな」

1372 §

「もう1つポイントがある。近くの京王線は1372mmなんだ」

「その意味は?」

「1067mmの小田急や井の頭線やJRよりも太い。それを見慣れていると、ナローの狭さがより印象的だった可能性もある」

トロッコ! §

「自分に取ってトロッコとは、芥川龍之介ではなく乗工社のキットだな。作ったのは、上の話のトロッコの10年後ぐらいかな」

「そのときは、こんなニアミスとは思わなかったわけだね」

「まさに」

トロッコは道路用か水道用か §

「設置されていたのは水道用地で間違いないだろう」

「でも、道路工事に利用したものか明確では無いわけだね」

「現地を見ていればなあ。何か言えることもあったろうに」

「そこは残念だね」

「ついでに言えば、あっちの方面にいた高三小時代のクラスメートは、早期に高井戸東小に通うようになって、かなり早い時期に音信不通になった、というかどんな奴がいたのかも既に明確には覚えていないぐらいだ」

「そうか」

「逆にいえば、高井戸東小の卒業生なら知っている可能性があるな」

「高井戸東小の古いアルバムとかには記述や写真が無いのかな?」

「それは無理だろう」

「なぜ?」

「昭和48年開校だから、ぎりぎり間に合っていないっぽい」

「ぎゃふん」

世田谷側は §

「世田谷側に学校は無いの?」

「玉川上水と環八と甲州街道の間の三角形の中には無いようだね。でも、甲州街道を越えれば上北沢小だ」

「そっち方面にはトロッコを知る卒業生がいるのかもしれないのだね」

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トロッコはすぐ近くにあった・これで謎は解けたか!?

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「素晴らしい! 上北沢の水路について教えて下さった方だ。名前は伏せて引用させて頂く」

廃線趣味のお話をひとつ。

現在首都高4号線が甲州街道から分岐している松原分場の辺り、玉川上水がまだ土盛りの暗渠だったころ、(昭和42~45年頃)その土盛りの上にトロッコの軌道が延々現在の環状八号まで単線で伸びておりました。

軌間は判りませんが、多分762mmかとおもわれますが、使用していたレールが結構大降りな物との記憶が御座います。(30kg/m位の感じでした。故郷に森林鉄道があり、そのレールより太かった記憶です)線路に分岐はなく一本線で、土工用のトロッコが1台きりありました。なぜに鮮明に覚えているかともうしますと、そのトロッコを近所の連中と押しして遊び、環八まで行ったためです。何回か遊んでいるうちに、工事中の環八の終点に突っ込み、工事人足にどなられておいかけられたために、記憶に焼きついております。面白いことに、上北沢側から環八側へは大した勾配もなく、子供4~5人で押せたことです。反対は結構スピードが出てしまい、崖下に転落させたこともありました。(いつのまにかトロッコは復線していましたが)

昭和46か47年ごろに、首都高速の工事が本格化して消滅したようです。

補足致しますと、メール中の、トロの形は土運び用の低い台形ではなく、かなり背が高い箱形で、木製でした。連結器は無かったです。

軌道の幅ももしかすると、762ではなく610かそれ以下だったかもしれません。

鉄道趣味人や廃線趣味の人も、今のところは誰も知らないです。

その当時の悪がきが記憶しているだけの話です。

写真もありませんが、スケッチならいつかお見せできると存じます。

何卒宜しくお願い申し上げます。

「トロッコか」

「芥川龍之介のトロッコみたいな世界がほとんど目の前にあったのだ。しかし、子どもの頃の行動範囲にはそこが含まれないのだ。惜しいことをした」

「この話がどうしたのだ?」

「だからさ。これだ」

「この話がどうしたの?」

「時期と場所がピッタリ合うのだ」

「えっ?」

「日本の鉄道模型界で1970年代後期にあったナローゲージのブーム。乗工社のショールームはつつじヶ丘、当初製品を扱っていたのは方南町の珊瑚模型。珊瑚模型は一時的に八幡山駅の高架下に始点を持っていた。そして桜上水在住だった元マイクロソフトの重役の古川享さんもなぜかアメリカに行ってナローゲージ三昧。もちろん、下高井戸の自分もナローゲージに傾倒したのだが、これらの話には中心が無い」

「中心が無い?」

「なぜ話が杉並世田谷調布方面に集中するのか、その根拠が見えてこない。範囲にして、自転車で1時間走れば行ける位の距離だ。これは狭い」

「なるほど」

「しかし、上北沢にトロッコがあったとすれば、それが中心になる」

「玉川上水の埋め立てられた場所が中心になるわけだね」

「時期的にも、そこからの影響がブームになって開花したと思えば丁度いい」

「問題は、ブームの時に話題になったのは木曽森林鉄道や草軽電気鉄道だよ」

「ある意味で当然だ。手押しトロッコは、『軌間が狭い線路への興味を持つ発端』にはなれど、あまり『鉄道趣味』には結びつかない。逆に、木曽森林鉄道や草軽電気鉄道はマニアが追いかけていて、資料などもかなりあるようだ」

「君はトロッコを知らなかったじゃないか」

「自分は巻き込まれた側だからな。この関係者の全員がトロッコを知っているとは限らないが、トロッコを知る者の勢いに巻き込まれていた可能性もある。地理的に近いからな」

1372 §

「もう1つポイントがある。近くの京王線は1372mmなんだ」

「その意味は?」

「1067mmの小田急や井の頭線やJRよりも太い。それを見慣れていると、ナローの狭さがより印象的だった可能性もある」

トロッコ! §

「自分に取ってトロッコとは、芥川龍之介ではなく乗工社のキットだな。作ったのは、上の話のトロッコの10年後ぐらいかな」

「そのときは、こんなニアミスとは思わなかったわけだね」

「まさに」

トロッコは道路用か水道用か §

「設置されていたのは水道用地で間違いないだろう」

「でも、道路工事に利用したものか明確では無いわけだね」

「現地を見ていればなあ。何か言えることもあったろうに」

「そこは残念だね」

「ついでに言えば、あっちの方面にいた高三小時代のクラスメートは、早期に高井戸東小に通うようになって、かなり早い時期に音信不通になった、というかどんな奴がいたのかも既に明確には覚えていないぐらいだ」

「そうか」

「逆にいえば、高井戸東小の卒業生なら知っている可能性があるな」

「高井戸東小の古いアルバムとかには記述や写真が無いのかな?」

「それは無理だろう」

「なぜ?」

「昭和48年開校だから、ぎりぎり間に合っていないっぽい」

「ぎゃふん」

世田谷側は §

「世田谷側に学校は無いの?」

「玉川上水と環八と甲州街道の間の三角形の中には無いようだね。でも、甲州街道を越えれば上北沢小だ」

「そっち方面にはトロッコを知る卒業生がいるのかもしれないのだね」

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