Subject: トロッコはすぐ近くにあった・これで謎は解けたか!?
Keyword: 【▲→川俣晶の縁側→歴史と文化→下高井戸周辺史雑記】
URL: http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20120823142720
本文:
上北沢トロッコに関しての、個人的考察を御案内致します。
1、単線(棒線)、トロッコ1台では、土砂の運搬量はたかが知れている
2、土手を越える。踏み分け道には、土手の左右から階段状に土留のある段々がついていた(1段25~30センチ・ぜんたいのかさ上げ高は1・5メートル程)にもかかわらず、終点近くには迂回する通路が設置されていた→土手を越える通路があちこちに設置されていた→踏切部分がある(歩み板はないが、かなり踏み込まれている)→土手に対してレールが以前から設置されていた様子
3、全線に亘り、積み込み又は積み下ろし場所が環八の工事中の箇所のみ
4、土日が休み(トロッコを勝手にいじれる日)
以上の条件により、水道局関係又はこの区間に対するなんらかの上水暗渠土手の保全用の軌道の可能性があります。
また、環八以西にももしかすると同じような目的の為に軌道が存在した可能性があり
ます。更に言えば、上北5→久我山までトロッコ軌道が連続して存在していたかもしれません)
(自分は上北小→富士見が丘中なのですが、同級生始め、一切このトロッコの話を聞いたことがありません。一緒に遊んだ連中も覚えていませんでした)
放射4号工事は、あっという間に工事が進んでしまった印象がありますし、建機が結構いたようでした。(上北5丁目北側の北沢用水の細い道を、ダンプが我が物顔に走っていて、危険だから近づかないようにといわれました)
そのころには、上水の土手は一切撤去されて、平らな土地になっておりました。
その直ぐ後に分場の北側に、分場に出入りするトラックのために現在の4号南がわの側道が整備されました。(昭和47年ごろ)今でも分譲北側の歩道と車道を区切る縁石に古いのがのこっております。
また。上水の南・北は並行するくぼ地になっており(松原分場西端から西)南側は比較的広い開渠(1M程・流水なし)、北側は土のくぼ地だったと記憶しております。今は存在しないアパートの二階通路から、上水上の線路の俯瞰が出来ました。
(それは、まるで地方の非電化区間のゆるやかにカーブした土盛り単線線路でした)
ここで、疑問のご提示。上北の桜並木の一角は、「佐内町」とよばれておりますが、ここは旧来はどうやら田畑だったらしく、水源としての用水が必要なくらいの微高地で南に向ってさがっております。
ここへの給水路がヤット判りました。
(まえに御案内の北澤川に流れ込む水路(分場→NTTからの分岐ではありません。地形的に不可能かとおもわれます。)
さて、川俣様のご考察を是非御願致します。
ナゾナゾめいての質問、大変申し訳御座いません。
何卒宜しく御願致します。
追伸
八幡山の珊瑚模型店!
私も随分通いました。
無くなった時はかなり悲しかったです。
(柴崎模型のクモハ40もなつかしいです)
この京王旧線跡も、今となっては場所が良く分かります。すぐ「あそこ」と言えます。最初に知ったときはやたらめんどくさい場所に思えましたが、今ならあっさり到達できます。