http://yamatokaigi.com/blog/?p=274より
舛田監督は、ホントばっさりと切りますね。復活篇の時もそうでした。脚本の決定稿を一旦持ち帰って、次の会議の時に自身がカットした脚本を持ってきたのですが、これが情け容赦のない切り方で、西崎監督を初め脚本家の皆さんも絶句するほどでした。
「ここで1つ引っかかった」
「なぜ?」
「受け手は足し算で行動するが、送り手は引き算で行動するという仮説があるからだ」
「それはどういうこと?」
「受け手は金を払って映画を見る。より多くのものを受け取れば勝ちだ。だから、できるだけ多く積み上げようとして発想が足し算になる」
「ふむふむ」
「一方で、送り手は言いたいことを全て言ってはダメだ」
「どうして?」
「受け手はどれが本題か分かってないからだ。従って、何を受け取って欲しいのかを明確にする必要があるが、それにはそのメッセージ性と直接関係ない要素はいくら語りたくても落とす必要がある。なぜなら、それを語ることは受け手を混乱させるからだ」
「印象が曖昧になるってことだね」
「結局、何も受け取れなくなる」
「だから『それは本当に必要か』と考えて、否であれば切っていく必要があるわけだね」
「そういう意味で、中身をある程度以上増やすことは実は良いことでは無いのだ」
「たとえば?」
「2199第9話は搭載機が1機しか出てこないがそれでいい。1機出せば十分だからだ。あそこでエスコートの戦闘機も出して収容を描く必要は無い。第10話なら、出迎えは山本のゼロ1機でいい。2機も3機も出す意味は無い」