ハッと気づいたので、メモ。
今日見た大日本職業別明細図によると、帝都電鉄の永福町は永福通りと神田川の交点の南側(現在、コンビニや宗教施設があるところ)に描かれています。
一方で、西松原駅は現在の明大前駅よりもずっと西に描かれています。井の頭通りよりも西です。(松原=明大前よりも代田橋に近いぐらい)
ということは、そこから考えられる可能性はこういうこと。
- 帝都電鉄が当初想定した京王線との乗換駅は、西松原→代田橋と永福町→下高井戸。松原=明大前ではない
- 実は松原=明大前の重要度は当初下高井戸、代田橋に負けていた
- 永福町駅は地理的に下高井戸ないし和泉に置かれ、永福町に置かれない
- 明大前を乗換駅とする何らかの合意があり、そこで路線が変更された
- 路線を変更してまで明大前乗り換えを実現することは、路線を不自然に曲げないというメリットを帝都電鉄側にもたらす
- 帝都電鉄の駅は、同じ駅名であっても全く別の場所が想定されていた、という可能性がある