2012年12月29日
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根津神社周辺の池と水路問題

Written By: 川俣 晶連絡先

「知っている人は知っているが、2002年に根津神社前の日本医科大付属病院に入院した。その時に、もっと人世にゆとりを持つ必要があると思って、それを契機に東京23区の歴史資料館を巡って、派生的に下高井戸分水から水路を追跡するようになったわけだ」

「それがどうした」

「完全に話が原点に戻ってきた」

「は?」

「日本医科大付属病院とその周辺が気になる領域になった」

「なんでだよ」

「goo地図の明治を何気なく見ていたら、近くに見慣れない池が描いてあった」

「へー」

「実際に行ってみると高度救命救急センターのあたりは完全に低地。何があってもおかしくない。しかし、この周辺地域に池があったように見える資料が多いのだが、何個のどういう形の池がどこにあったのかははっきりしない。汐見小のあたりに池があったように見える地図もあるが『そうだ』と言い切るにはためらわれる。ただし、近くに緩やかな谷もあって、自然河川があったことを推測させる」

「確かにそこまで行くと気になるね」

「それから、千駄木二丁目交差点。ここも、前から水路跡っぽくて気になったけれど、本当に水路跡という可能性が出てきた」

「ひぇ~」

「ただ全体像は良く分からない。どうも根津神社の池は本来は馬蹄形で、現存しない半分は日医大の敷地内にあったようだ。その他、地図に水路が描いてあるのに高低差が見られない場所は、人口水路の疑いもある。そうなると痕跡が無い以上お手上げだ。昭和22年の航空写真でも都市化が早い地域だからお手上げ。これは難物だぞ」

「それで君の考えは?」

「ともかく史料が足りないが、自転車で気楽に行ける距離でもないので、長い目で見るさ」

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