「ヤマト2199を以下のように位置づけるとしよう」
「うん」
- ヤマト2199はヤマト1974の没ネタの復活を主眼とする
- 従って、ヤマト2199はヤマト1974のリメイクではない
「それで?」
「これにもう1つの要素を足す」
- ヤマト2199には、1974と別作品として手厚い支持がある
「するとどうなる?」
「ヤマト2199で復活された没ネタとは、言い換えれば、39話案ないし26話案に組み替えられる際に切り捨てれた要素だ」
「それで?」
「ヤマト2199に支持があるということは、話を短縮する際に組み替えるにあって行われた選択が本当に正しかったのか、という問いかける突きつける」
「えー」
「だからブームを起こしたヤマト1974は、あれだけの手厚い支持が当時あったにも関わらず、本当にあれで良かったのか、という問いかけが突きつけられてしまう」
「ひ~」
ヤマト1974には…… §
「別の言い方をすれば、ヤマト1974が支持される理由の中に『本当はXXだったはず』というものが含まれていた可能性がある」
「本当はハーロックが、本当はイローゼが……という話だね」
「切り捨てられた要素込みでの支持なら実態は分からんぞ」
「死んだこの歳を数えるようなもので、実態以上に見える可能性があるわけだね」
「2199っていうのは、その実態以上に見えた幻影の現実化という側面があるのだろう」
「つまり青春の日の幻影が本当に現実になって戻ってくるからみんな焦っているわけだね」
「そうだ。それは本来あり得ないことなのだ」