https://twitter.com/dadasiko/status/336045310960869376より
大野木寛
実は沖田と徳川が語る「防衛艦36番」というのには思い入れがある。
亡くなった父が戦後、引揚船の船医として乗っていたのが「防衛艦36番」であった。
つまり、きょうの回は、亡き父への通信でもあったのである。
「うむ。もうちょっと調べた」
「何?」
「おそらくこれのことと思われる」
丁型海防艦より
- 36号 - 1944年10月21日(藤永田造船所) - 復員輸送後の1947年7月19日米国に引渡し 鶴見で解体
「復員輸送に従事しているからおそらくこれで正解だろう」
「しかし、名前がかなり違うじゃないか」
「旧日本海軍に防衛艦という艦種は存在しない。番という番号付けも考えにくい。だからおそらく海防艦36号だろうとあたりを付けたらあった」
「へー」
「本当にこれでいいのかは知らんぞ」
「ぎゃふん」
「しかし、鶴見で解体か」
「続いて第3航空隊鶴見二郎なんだね?」
「いや、それは違う鶴見だから」
オマケ §
「表記がかなり違うけどいいの?」
「人間の記憶力なんてあてにならない」
「なんでそう言いきれるんだよ」
「俺を見ろ、間違ったことをけっこう書き飛ばしているぞ」
「ひ~」