「面白いと思ったのは、第14話の感想を言っている人は多いが、実はヤマトの感想になっておらず、結果として自分を語っているケースが多いことだ」
「それはどうして?」
「第14話は筋が通らない描写が多くあり、実はいくら見ても絶対に具体的な像を結ばない。それでも、結ぶはずだと思って強引に解釈すると、そこに自分を投影して見るしかない」
「そんな馬鹿な。第14話が分かったと思って見ている人は、実際には分かってないってこと?」
「そうだ。自分で作った正解を投影してそれを自分で見ているだけだ」
「作品としてそれでいいのかよ」
「いいと思う」
「理解出来ないんだぞ」
「うん」
「理解出来るまで何回も見ることも期待できないんだぞ」
「おいおい。話がすり替わって居るぞ」
「え?」
「こちらは、理解出来なくてもいい、と言っている。理解するまで見ろなんて何ら要求してない」
「どういう意味だよ」
「だからさ。結局古代は雪を助けに飛び出しました、という古代の気持ちは非常に分かりやすいからだ。それだけ分かれば実は十分」
「分かりにくくても?」
「表現とは、人間を描くために存在する。その表現は心を描くことができていれば、実は筋が通っていなくてもぜんぜん構わない。表現は単なる手段だからね」
「だから、突然説明も無く古代が子供になったり、既に持っているはずのハーモニカを受け取って良いわけだね」
「そうそう。気持ちが分かればそれでいい。そして第14話はそういう意味で、難しい感情を描いているわけではない。古代はお兄さんからハーモニカと勇気をもらって雪を助けに行きました。ということだけ」
「雪は?」
「雪の感情は実は分かりにくいのだが、それは描写が難しいからではなく、単にまだ明かされていない伏線だからに過ぎない」
「そんなことをして、視聴者に胸に引っかかったらどうするんだよ」
「いいんだよ。引っかかればそれを解消するために次を見たくなる。そういう意味で全部説明しないのは定番の演出。どこにでもある演出技法」
修正の問題 §
「少なくとも以下の一箇所は修正されている」
- 古代が見上げる森雪の股間の露骨な性器部分の突起が消されている (再作画されたというよりも、単に上から塗りつぶされた感じ)
「この修正について君はどう考える?」
「露骨すぎる描写が直されたのは良いことだろう」
「露骨が好きな人がいるのではないの?」
「露骨な描写に依存すると作品が安くなるよ。デメリットの方が多いと見た」