「出渕監督は100人いれば100のヤマト像があると言うが、自分は違うと思う」
「10人いれば11のヤマト像があるわけだね?」
「そうだ。しかし、11で終わりではない」
「は?」
「最大公約数的なヤマト像が12番目の解釈として浮上する」
「10人いると12のヤマト像があるわけだね」
「その12番目が新宇宙戦艦ヤマト・コスモロード2199となるわけだ」
「新宇宙戦艦ヤマト・コスモロード2199ってなに?」
「2199第1話の絵コンテに描いてあるタイトル」
「それで?」
「しかし、おそらくヤマト2199は最終的にそれとは同じになってはいない。軌道修正しているふしが見られる」
「それで?」
「だからね。ヤマト2199は12番目の解釈をベースに更に修正を加えた13番目の解釈ではないかと思うわけだ」
「ヤマト2199は13番目の解釈なのだね」
「だから、それはおそらく出渕解釈とはまた違うものだと思う」
「属人的な個人解釈とは違うわけだね」
「そう。どのスタッフの解釈とも違うと思う」
「でも、君は個々のスタッフのピュアな解釈も知りたいと思うわけだね?」
「そうだ。でも、それはアニメとして実現するのは難しいだろう」
「なぜ?」
「アニメは集団作業なので、どうしても公約数的にならざるを得ない」
「どうすれば属人的な解釈が見られるわけ?」
「小説とかコミックとか鷹の爪とか、1人で作れるものを経由するしかないだろう」
「ちょとまてい。鷹の爪ってなんだ?」
「ほとんど1人で作っている映像なので。特に初期のFROGMANは本当に1人で作っていた」
「鷹の爪はヤマト関係かよ」
「いや。むしろSW」
「なんで?」
「助けてオビワン・ケノービ、あなただけが頼りです、的な映像がストーリーと関係無く入っていた」
「ぎゃふん」
「鷹の爪の最初の映画も、敵の大将が実は父親ネタだったし」
「どこの逆襲ネタですか」
「それはそれとして、14番目の解釈が出てくる可能性も出てきた」
「新作映画だね」
「逆にいえば、俺は俺の解釈を提示しなければならない」
「亡霊戦艦ヤマトだね」
「そうだ。あらゆる矛盾を受容するなら、あれは亡霊として解釈するしかない」
「矛盾の無い正しい解釈は有り得ないわけだね?」
「そうだ。それがヤマト1974だ。サイズもそうだが形状だってカットごとに変化する」
「模型の統一スケールも意味が無いわけだね?」
「そうだ。無い」
「それは2199解釈とは違うわけだね?」
「そうだ。違う。違うが2199否定では無い」
「別の解釈としてはありなんだね?」
「他人には別の解釈があるのは出発点だ。それに、面白いか、金を払う価値があるか、という観点からは合格なので、文句を言うべき対象ではない」
「でも違うんだね?」
「そうだ。でも、その差が面白いところでもある」
「なんで?」
「同じものを見ているのに違う解釈が出てくる。その違いが面白い」
「もしかして、そこが最大の見どころ?」
「そうだな。ある意味で最も面白いところだ。それにも関わらず違うと言って非難するのは野暮だ」
「薮か」
「野暮だよ」
「えー」
「他人は違う解釈を持っている、という事実を受容しない限り、永遠に本当のヤマトには乗れない」
「でもヤマトに乗っている気だよ」
「井の頭公園のボートにマジックでヤマトって書いて乗った気になっているだけだ」
「でもさ。みんな思い描いたヤマトが違うのに、一緒に乗れるものかね?」
「うん、いい質問だ」
「君には解釈があるわけだね?」
「だからさ。ヤマトには1つの形が無いんだ。第3艦橋が存在するといった漠然とした共通認識があるだけでたった1つの形が存在しない」
「それがヤマトってことだね」
「そうだ。しかし、軸に同じ価値認識があるから一緒に乗ることはできる」