2013年10月19日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記 total 3011 count

調布浄水場はどこにあったのか

Written By: 川俣 晶連絡先

「東京都水道歴史館の図書室でたまたま見たらね。玉川の名を冠する上水の話が書いてあって、そこに調布浄水場っていうのもあったわけ。でも、見れば見るほどぜんぜん分からない」

「玉川上水じゃないの?」

「別の上水の話だ」

「調布に浄水場なんて無かったよね?」

「というわけで、よく読んだところ、やっと理解できた」

「その正体とは?」

  • この場合の玉川は玉川上水の玉川ではなく、世田谷区の地名としての玉川である。つまり、玉川上水が流れている場所よりも遙か南
  • 調布浄水場の調布は田園調布の調布であって、調布市ではない

「そうか。君は全く縁の無い場所だね」

「そうでもない」

「えっ?」

「調布浄水場は現存しない。調布浄水場の跡地は多摩川台公園にあるのだ。そこにある浄水場時代を忍ぶ池があるか、その池を見たことは良く覚えている」

「多摩川台公園なら行ったことがあるわけだね」

「ちなみに、goo地図の昭和22年38年で見ると、はっきり浄水場が見える」

「古墳削って浄水場作っちゃった場所だね」

歴史 §

「調布浄水場はもともと東京市が作ったものではなく、買収したものだ。その元になった資料を自分は見ていたようだ。WikiPediaには荏原水道組合買収多摩川水道株式会社創立って書いてあるけど、自分が見た史料は玉川と表記していたようだ。厳密には要チェックだが」

「いずれにしても遠い話だね」

「玉川上水と多摩川は、羽村で分かれるけれど、そのあとは離れていく一方だからね。最終的に玉川上水末端の話と多摩川末端の話は全く無縁になる」

多摩川台公園 §

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