2014年01月01日
トーノZERO映画感想 total 3028 count

感想・映画「永遠の0」

Written By: トーノZERO連絡先

「1月1日からなんでわざわざ映画を見る」

「毎月1日はTOHOシネマズ映画1000円だから!」

「……」

前提 §

「まず前提。この映画は悪評が多く聞こえた。飛行している感じがプレーンズの方が優れるという意見も聞いた。零戦がかっこいいとは思えないとか、特攻は間違っているので泣けないという意見も見た。しかし、予告編を見た感じではダメな映画というほとダメには思えなかった」

「なるほど。実際に自分の目で見て確かめるのが目的で見たわけだね?」

「そうだな」

「それで結論は?」

「全部違った」

「えー。全部かよ」

「そうそう。前評判は全部違った」

「じゃあ、この映画はどんな映画なんだよ」

「零戦搭乗員を主役として戦争映画……ではなかった。いちばん生き生きと描かれていたのが終戦2年後の大阪のバラックで、当然戦争なんかやってない。次点は現代の司法浪人青年。これも戦争なんて関係無い」

「じゃあ0ってなんだよ」

「0って言うべきじゃ無かったと思うよ、この内容なら。だってそこは見どころじゃないもん」

感想 §

「じゃあ1つ1つ見ていこうか」

「ああ」

「零戦はかっこいい?」

「かっこ悪い。明らかに零戦がかっこ悪い描写が多い。零戦がかっこいいという価値観に乗れないからこの映画に乗れないという人は劇場で目を開けてスクリーンを見ていただけできっと映画を見てない」

「特攻は間違っているので泣けない?」

「それは中二病の意見だ。そういうことを言っている連中が特攻をするか否かの決断の意志決定に関与できる可能性はほとんどない。雲の上の誰かが『我が軍は特攻を行う』と決めたら従わねばならない立場でしか無いだろう。その状況下で間違っていると分かっていて死に行くことはあり得るし、他人事では無いと思うべきだ」

「他人事では無い?」

「10年後のあなたが特攻機のコクピットに座っている可能性はあるよ」

「冗談だろ?」

「冗談は言ってないよ。けしからん隣国は討伐すべきという論調だらけの現代だ。他国の支持は得られない可能性が高いから、無資源国日本としては、命を武器にするしかない」

「ひ~。話を変えよう。ミリタリー描写の正確さはどうなんだい?」

「おや? と思う箇所はけっこうあるし、そういう意味で凄くいいわけでもない。でもそれは映画としての主テーマでは無いからあまり深く突っ込むのは意味が無いだろう。主テーマでは無いと割り切って見る場合、ダメとまでは言えない。十分に合格水準の映像だと思うよ」

「自動車がテーマでもない映画で背景を指さして『その時代にその車種はまだ無い』と突っ込むのが無粋なのと同じだね」

「そうだな」

「プレーンズと比較してどう?」

「プレーンズは特定の時代の飛行機マニアが作った変態映画だからな。あれは別格だと思うべきだろう。普通の人は努力しても変態にはなれない。努力の問題ではないんだ」

「ひ~」

「それに飛ぶことそのものがテーマのプレーンズと、そうではない永遠の0では飛行シーンの比重が違う」

「分かった分かった。じゃあ結論はなに?」

「飛行機の映画だと思って評価する限り全部評価を間違うだろう」

「それを証明できる?」

「実際に零戦が一切でてこないシーンがとても多いよ」

改めて感想 §

「じゃあ、改めて飛行機の映画では無い前提で感想を頼むよ」

「これは良く出来た厭戦映画だ」

「厭戦映画とは?」

「戦争のくだらなさを描くものだ」

「どのあたりが戦争映画と違うの?」

「そうだな。戦争映画とは戦闘行為を描く。しかし戦争とは影響が広範囲に及ぶ。戦闘行為が終結した終戦後にすら影響が残る」

「昭和20年代は戦後だってことだね」

「今だって従軍経験者や社会のあちこちに影響が残っている。太平洋戦争の影響はまだ残っているんだ」

「ということは?」

「現在の我々にも影響を残す戦争という行為を描いているわけだ。それは非常に下らないもので、間違った行為なのだが、それは過去の事実であるという意味でなかったことにはできない。いくら間違った選択であろうとも、『そんな間違った行為は見たくない』と言って逃げることはできない。逃げても無くなるわけではないからだ」

「だから現代編も戦争の続きなんだね?」

「そうだ。終戦は区切りにならない。戦争映画なら区切りになるが、この場合は区切りにならない。だから大阪のバラックが出てくる」

歴史の問題 §

「この映画でいちばんいいのはね。実は司法浪人青年の主人公が突然友達から浮いてしまうところなんだ」

「どうして?」

「歴史を戦国武将だと思っているとそうでもないのだが、自分自身と連続した歴史を調べ始めると、急に周囲から浮いてしまう現象が起きる」

「なんで?」

「昔は価値観が違うからだ。歴史を学ぶとは、その時代の価値観、尺度でものごとを見る方法を学ぶことだ。いかに現代の基準で間違っていようとも、その当時の常識でものごとを見られないと過去の実像は推定できない」

「なるほど。そのような思考法を身につけると、現代的な価値観で過去を見ようとする者達から浮いてしまうわけだね?」

「そうそう。それは良くあるパターンだろうと思う」

「だから、この映画はそこがいいわけだね?」

「そうだよ。過去の一断面に誠実に踏み込むと、世界観が変化してしまって同じではいられない。そういうニュアンスがよく出ていた」

「それはミリオタとは違うの?」

「明らかに違う。ミリオタは知識だけあって、世界観の違いまで分かっている訳では無いからだ。別の言い方をすればミリオタ的な知識をいくら増やしても時代の空気は理解できない。知識が偏りすぎなんだ」

まとめ §

「戦争を英雄的な行為だと思いたがる人、そう主張したい人には嫌な映画だろう」

「なるほど」

「しかし、ゼロ戦を描くだけで軍国主義の復活だと騒ぎたい人にも嫌な映画だろう」

「主役メカとしてゼロ戦が出てくるにも関わらず戦争は肯定されないわけだね」

「ならば誰のための映画なんだろう?」

「ミリタリーマニアではないわけだね」

「そうだな」

「ならば歴史マニアかい?」

「かもしれないが、本当の歴史マニアなら主人公のような調査を日常的にやっているはずだから、改めて映画で見ないかもしれないよ」

「ひ~」

オマケ §

「映画を見ていて他人事では無いなと思ったよ」

「なんで?」

「自分も戦争に反対するからだ」

「君は臆病者なの?」

「怖いから戦争に反対する訳ではない。真の意図が透けて見えるから乗れないのだ」

「えー」

「どれほどの正義を唱えようともね。それは本音では無いからね」

「つまり、戦争の正義に反対しているのでは無く、その正義が偽物だから反対するわけ?」

「そうさ。だからどれほどの正義を掲げようとも戦争を起こすことには反対だ」

「でも、それは表面的に不正義への支持に見えるわけだね?」

「臆病者にも見えると思うよ」

「損をするね」

「大損だ。要するに他人の利益のために自分の大切なものを差し出せという要求にノーと言っているだけなのに、正義に反対したとなじられる」

「それでいいわけ?」

「正義なんて嘘か詐欺の代名詞に過ぎないと思うなら、いくらでも反対するよ。正義反対」

「正義の戦争より不正義の平和の方がいいわけだね」

「そのフレーズも理解せずに使われている例がとても多いよ」

「では君は反戦?」

「厭戦だと思うよ」

「その違いは何?」

「反戦とは、『我が国は戦争をすべきでは無い。軍備を廃棄せよ』という要求だが、実際にそれをすれば他国の軍隊を呼ぶだけだ」

「確実に占領できる国家は魅力的ってことだね」

「そうそう。だから反戦は結局好戦の本音を隠しているだけ」

「分かった。そういう戦争を望む本音にも嫌気がさしたのが厭戦だね」

「本音を隠したあまりに幼稚な正義には厭きました」

「じゃあ、それが結論?」

「いや、ついでに言おうか。そのあまりにミエミエの幼稚な自称正義を信じ込む日本人の多さにも厭きました」

「ひ~」