2014年02月10日
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ロックとオタクは同じもの論

Written By: 川俣 晶連絡先

「ただの思い付きのメモだ」

「なんだよ」

「アメリカのロックと日本のオタクは同じようなものという論だ」

「なんで同じになるんだよ」

「豊かさをバックボーンに持って、大人になることを拒否する文化的な形態だ」

「それで?」

「ロックは文化、という言い方と、世界から承認されたオタク文化という言い方は基本的に同じ事だ。どちらも嘘くさい」

「ひ~」

「つまりね。大人になることを拒否すると、何かが不足する。不足分は外部から調達しなければならない。そういうことだ。しかし、調達は抽象概念で行われ、本当に調達できているかは曖昧にされる。むしろ明確化させないために、抽象概念を外部から補充する」

「アメリカと日本は同じってことかい?」

「いいや。アメリカの方が先行している。アメリカのロックは1950年ぐらいぐらいから勃興してきているが、オタクは1980年代ぐらいから勃興してきている。どちらも生まれはもっと昔になるけどね」

「で、そのアイデアがあるとどうなるんだい?」

「日本の社会状況はアメリカの後追いでしか無い、という印象を補強する材料になる」

「なんで後追いだと思うんだい?」

「トーキーのモノクロのアメリカの映画を見ていると、今の日本の社会状況を比較して内容が古くないんだよ」

「技術は進んでいるよ」

「そうだ。でも人の心の持ちようは似ているように感じられる」

「つまり、みんな進歩しているなんて思い込んでいるけど、実際は……」

「ぜんぜん進歩なんてしてないね。むしろ退行中だ」

オマケ §

「ロックはいい。認めろ」

「は?」

「これってさ。萌えはいい。認めろ、という理屈とおんなじ。強制的に同意を求めているだけで、そこには自由意志、個人の嗜好というものが存在しない。なぜならこれらは嗜好の問題では無く社会の進歩であり、正義だからだ。でも、そのような考え方を承認しない立場から見ればロックはただの音楽だし、萌えはただのアニメやゲームキャラだ。そんなものは、嗜好の対象であって、人によって好き嫌いがあって当たり前」

「そこでも、やはりロックのオタクは似ているのか」

「そうだな。おいらは思想の支配は受けたくないので、ロックもオタクも受け入れない」

「好きなものは誰かに強制されたくないわけだね」