2014年03月11日
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続・ 千歳烏山駅の謎・なぜ踏切近くで土地が凹む?

Written By: 川俣 晶連絡先

「千歳烏山に出動してきましたよ」

「感想は?」

「駅と烏山側と品川用水の関係がどうしても釈然としない!」

「謎は深まったわけだね」

品川用水の問題 §

Subject: 千歳烏山駅の謎・なぜ踏切近くで土地が凹む?

Keyword: 【▲→川俣晶の縁側→歴史と文化→下高井戸周辺史雑記】

URL: http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20140310112730

名前: て

メールアドレス:

本文:

これぞ、まさしく、品川用水ですよ。

A~Eは、品川用水に交差する、烏山川の一本です。

「分かりました。土地が凹んでいるから自然河川として考えたのが間違いで、品川用水なのですね」

「そうするとまた全貌が違ってくるわけだね」

Subject: 千歳烏山駅の謎・なぜ踏切近くで土地が凹む?

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本文:

川俣様

お久しぶりです。

今年は大雪が続きまして、如何お過ごしでしょうか。

当方の実家は現在でも90cm積雪があります。

烏山の駅は、昭和20年代前半までは14m級2両分の長さしかありませんでした。

昭和23年からの16m級3両編成化工事で、新宿~千歳烏山間のホーム延伸工事と、烏山については待避線増設工事を行い、後には八幡山駅の移転も行われました。

昭和25年の第五回株主総会の決議書に3両編成工事の予算が計上されているので、22年時点ではまだ工事が始まって居ません。

その頃には駅を境に西側に向って、線路の南北に水路が存在したのではないかと思われます。

待避線の増設時に駅に対して膨らむように水路の付け替えが行われたと思います。

当時の駅の西端は、駅の南の小道が折れ曲がっている角までで、小さい踏切があり(現在の西側の踏切ではありません)そこまで待避線が上り下りに存在していたようです(ホームがかなり狭かったようです、また各ホームへのアクセスは新宿側にあった駅舎から構内踏切であがっていたようです)

烏山の西側がゆるやかに西にむかって傾斜しているので、御推察の通りの水路筋だったかと存じます。駅西南にスイミングスクールがあるのも興味を引きます(駅の西側の二つ目の踏切から南に下ったところです、昭和45年頃通ってました・当時上北沢~烏山間子供15円、硬券でした)

今では水無川も全線暗渠になってしまい、かつて川が流れていたことは殆ど判別できませんが。

井の頭公園のかいぼりは大雪の影響で予定を変更して、池底の乾燥を諦めて元どうりに水を張りました。

工事用付帯設備も撤去、ボートも戻ってきました。

お邪魔致しました。

又の機会にメールいたしたく存じます。

まだまだ寒い気候が残りそうです、御体ご自愛下さいませ。

きくかわ

「千歳烏山駅周辺は、それはそれは見れば見るほど怪しいものだらけですね」

「たとえば?」

「そもそも、ホールのある場所が元は学校。学校なんて、水路近くにできることが多いので。踏切のあたりの土地も不自然な感じ」

「怪しい要素が多いにも関わらずなぜ納得できないわけ?」

「問題は、土地の凹みは自然河川のサインだが、品川用水だと人工河川だということ。なぜかー」

「品川用水が凹んだ土地にあるとしたらどうなんだ?」

「仮説は2つ考えた」

  • 人工的にそこだけ掘った (他の場所に明瞭な凹みは見られない)
  • そこだけ自然河川を転用した

「君の選択は?」

「分からない」

「他に感想は?」

「千歳烏山駅、出来たときからかなり無理のある駅だったみたいだなあ。非常に狭い範囲に設置されていたのに、それでも待避線まであった」

「今は待避線無いよね」

「もうない。水路もまたいでホームを延長した。無理は減ったと思うよ」

下高井戸周辺史雑記