「さて、ダメな映画の典型として語れることが多い映画だが、ともかく見てみようと思ったわけだ」
「見ないと始まらないわけだね」
「そうだ。まずは見る」
「それでどうだった?」
「凄く面白かった。オタクには映画を見る目が無く、オタクが酷評する映画は実際には楽しめる良く出来た映画が多いという経験則が、また1つ増えてしまった」
「ふーん。どこがポイントなんだい?」
「だからさ。良い映画とは自動的に原作を無視するものなのだよ。だから、ルパン三世として見ようとする限り、コミック準拠だろうとアニメ準拠だろうと、それとは違うものになる」
「ではどうすればいいんだい?」
「だから、個々の映画が何を描いているのかを把握する。そのチャンネルにチューニングして見る」
「つまりルパン三世である必然性がない?」
「違う。違う意味でルパン三世である必然性が与えられている」
「必然性が違うわけだね」
「そうそう。だからこの映画はルパン三世が主人公であることに意味がある内容だが、その意味は違っている」
「それが映画では当たり前なのだね?」
「そうだ。原作通りというのは、映画的にはダメの別名だ」
「じゃあ、面白かったのだね?」
「最後まで目が離せなかったよ。凄く楽しい」
「どこが面白さのポイントなんだい?」
「監督は東宝クレージー映画シリーズを手がけた坪島孝ってことで、ある意味言い尽くしている」
「愉快で楽しい作られた世界ってことだね」
「そうだ。その世界は他のメディアのルパン三世の世界ではない。だから、その世界に乗って楽しむ。それだけだ」
「ルパン三世はこういうものだ、というお約束に拘束されると楽しめないわけだね」
「お約束とは、実に貧しい発想だよ」