「諸般の事情により皆さんが最も知りたいことに関しては語りません。つまり、加戸 誉夫さんと森田繁さんがお話ししたことは全部パスということで」
「おいおい。それじゃ言うことが何もないじゃないか」
「とんでもない!」
「なんだよ」
「18~20話を劇場で見て発見が多かったのだ。時間を経て冷静にもう1回大画面で見るとまた印象が違う」
「ふーん」
18話の真実 §
「18話はね。これは本質的にヤマト1974のバラン星の話ではないの。そうではなく、ヤマト1974のガミラス星」
「は?」
「ガミラス星でガミラス星のエピソードっぽいことを行っていないのでおかしいと思ったら、それはこっちで使っていたわけだ」
「なぜそう思うの?」
「絶叫するゼーリックに後ずさるゲールの振る舞いが、ヤマト1974の『おかしくなられている』に似ていると気付いたのだよ。そこから芋づるだ。ゼーリックの顔アップはデスラーに迫るヒスのアップだ。その後は射殺だ。ヤマト1974でもデスラーがヒスを射殺しているから、射殺が反復されている。ヤマトは1回海に沈んでから再び浮かんでくる。そしてここが重要。ヤマト1974のガミラス星は味方のミサイルで都市を破壊してしまっている。つまり同士討ちだ。まさにヤマト2199の第18話のモチーフそのものだ」
「えー」
「波動砲で巨大な災厄をもたらすのも同じ展開」
「まさか」
「だからさ。沖田が海に潜るんだよ、というのが第18話なんだ」
「ひ~」
ゼーリックの問題 §
「更にもう1つ分かった。なぜゼーリックが断じて違うと古代の台詞を言うのか」
「なんぜ?」
「ゼーリックが古代だからさ」
「えー」
「実はゼーリックには青臭い理想主義者の一面があって、そこは古代そのものなのだ。反乱分子が実はゼーリック系だとギムレーに明言されていることで分かる。そすると、メルダをスカウトしたかっこいい反乱分子も、おそらくは基本的にゼーリックの本当の身内なのだ」
「ゲールは違うのかよ」
「実はゲールは本質的にデスラーの身内なのだ」
「まさか」
「だからね。2等ガミラスを撃ったゲールの態度は実はゼーリック的ではない」
第20話の真実 §
「実は第20話の違う解釈ができた」
「なんだよ」
「ノランに行けと命じて残る仲間は、実は斎藤と真田なんだ」
「ホントかよ」
「だって最後は爆弾で自爆するもん。そして、ノランだけが戻る。つまりノランが古代に相当する。爆弾で自爆する上司が真田相当」
「ひ~」
「一緒に戻った加藤は死んでいた。つまり、連れ帰ったユリーシャは偽物」
「そこもかい」
「そして総員退艦が命令され、自爆で幕を閉じる。まさにさらば宇宙戦艦ヤマトの世界がそこにある」
「ヤマトは自爆してないよ」
「ドメラーズでは総員退艦が命令され、自爆で終わるんだ」
「なんてこった」
「そう考えるとドリルミサイルを撃ち込んだ後で攻撃機が発進する意味も分かる」
「なんだ?」
「さらばの場合、ヤマトが白色彗星に波動砲を撃ち込んだ後が戦いの本番なのだ」
山本の問題 §
「実は山本はあまり優秀ではないことが分かってしまった」
「なんで?」
「七色星団の山本はヤマトの目にならなくてはならない。全周囲を警戒し、ヤマトの破損箇所も外部から観察して報告しなければならない。それなのに、実際にはUX-01からのコバンザメが長時間ヤマトに付着していたのを見落とした」
「予想していなかったから見なかっただけじゃない?」
「それだけじゃない。見ていると、投弾後の敵機ばかり追い回しているが、これは賢くない」
「爆弾投下後の敵機は帰るしかないから、爆弾抱えた敵機を落とせってことだね」
「落とさなくてもいいんだよ。投弾を妨害すれば」
「ひ~」
「そういう意味で、山本は腕のいいパイロットではあるが、戦略的判断はあまりできない」
「エンケラドゥスでは活躍したよ」
「ところがね。古代達を助けに行くべきだという判断は加藤が下していて、山本は目の前の敵と戦っただけ」
「うーむ」
「そう思うと実はあまりパイロット向きじゃないのかもしれない」
「えー」
見えたり消えたりするガミラス艦 §
「ゲートの中で見えたりt消えたりするガミラス艦というのは、ひおあきら版のワープ中戦闘シーンのエッセンスそのままだね」
「そこも、ちゃんと元ネタありかい」
全般的な感想 §
「こうして中身を全部知った後で劇場で見るとね。18話はけっこう冴えた映像が多いエピソードだというのが分かったよ。それほど悪くない。テレビではせせこましいけどね」
「良かったんだ」
「それと比較して、19,20話はちょっと落ちるかな。特にドメル艦隊の描写はちょっと落ちる気がする。七色星団のヤマトの描写は凄くいいんだけどね」
「で、18話の魅力を再発見した君の行き先はどこなんだい?」
「演出の加戸誉夫さん」
「この日のゲストじゃないか」
「そうだよ。自分は加戸誉夫さんの顔を見に行ったんだ」
「それで?」
「加戸誉夫さんが監督になった総集編こそ、自分は注目している」
「なんで?」
「どこを切って何を強調するかで新しい価値が作り出されるからだ」
「編集によって新しいドラマが生まれるってことだね」
「そう。切ることによって何かが生まれるのだ。その価値は完全新作とは違う価値なのだよ」
「完全新作に関しても、何か言ってよ」
「命令に説明はない。以上だ」
「命令?」
「【説明はない】の枕詞だ」
「ひ~」
加戸誉夫さんについて §
「加戸誉夫さん本人を見たの感想は?」
「同年代のいい兄貴だ。取っつきにくそうな感じではない」
「他には?」
「この人はおそらくSFとミリタリーが良く分かっている。だからこそヤマトを扱えるのだろう」
「ヤマトを扱える演出家は多いのでは?」
「同年代のアニメ業界の関係者はヤマトが契機というパターンが非常に多いのだが、バックグラウンドも分かっているかといえばそれは別問題だ」
「それで君はどうしたい?」
「10月のイベント上映が終わったら、仙川の博多やきとりヤマトで加戸さんのお疲れさん会でもやりたいと思うが賛同者が出るかどうか怪しいな」
「ひ~」
「加戸さんも絶対に名前を覚えておく価値はあると思うけど、ヤマトファンで名前を意識している人はそれほど多くはないのかもしれない。2199のスタッフリストを出して、ほらこれがゾイドの監督というと驚く人がけっこう多いぞ」