「1985年というと、そもそも映画を見ていないし、その上何となくコレジャナイ感があって当時は見なかった映画だな」
「今更見た理由はなんだい?」
「資料映像としてだな」
「えー」
「最近はそればっかりで辟易している。スーパー99は原作通りで今となってはつまんないし、マクロスゼロも2巻まで見ているのだがこれでもつまらん。コレジャナイ感が満載だ」
「全部、コレジャナイかよ」
「ちちち。そうじゃない」
「えー」
「実はオーディーンは悪くない。正しい方向を向いていると分かった。ただ生まれてくるのが早すぎてこれは理解されないなと思った」
「なんだよそれは」
「オーディーンというのはね。より大人になったヤマトファンのために、より大人になったヤマトの物語を語り直す作品だったと思うわけだ。この【よりマシなヤマトの語り直し】という要素は重要だ」
「より大人ってどういうことだい?」
- お子さまに都合の良い人類滅亡の危機など存在しない
- 最後の宇宙戦艦などという都合の良いものは存在しない。そこに子供達を詰め込むこともない
- その上で、宇宙の彼方に飛び立つ行為は実質的に神話の世界に足を踏み入れる行為である
「じゃあこの内容は妥当なのかい?」
「そうだ。神話の世界に行くから宇宙船はハイテク装備を詰め込んだ帆船でなければならない。船のモチーフは大和ではなく日本丸になる。国家の命運を賭けた大戦艦に子供は詰め込まないが、練習帆船になら詰め込まれる」
「えー」
「反乱もそうだ。さらば宇宙戦艦ヤマトはヤマトの乗り逃げに成功するが、普通はあり得ない話だ。実際には航海中にメインクルーを監禁して乗っ取る程度の行為がやっとだろう」
「ひ~」
「しかも、人類初の異性文明との接触というワクワク要素があって、本当は監禁された船長だって行きたいわけだ。立場上帰ると言うが本音は行きたい。だから最終的に遠い宇宙の冒険に指揮を執ってしまう」
「でも死んじゃうよ。しかも、オーディーンには到着しないよ」
「いいんだよ。結局ヤマトの話は全体として沖田世代から古代世代への世代交代の話だ。だから、年寄り達が死んで若者が責任を担うのが基本的なストーリーの軸なんだよ。まさにそういう話としてこの映画は終結するから筋が通っている。オーディーンはあくまで目標であり夢なのだ。実際に行ったらきっと幻滅する。そこまでは描かないのが大人の映画作りというものだ」
「ほんとかよ」
「言い換えれば、オープンエンドの物語という風に呼んでいる物語の類型だね。最後の決戦に出るところで終わる物語。それはそれでありなんだよ。読者or観客の空想が膨らむ」
「他には?」
「ヒロインが1人なんだよ。これは良い特徴だ。船内にいる女性と、目的地を指し示す女神が同一人物。森雪とスターシャとサーシャに分裂して意味も無くそっくりに描かれたヤマトとはそこが違う」
「ふーん」
「映像もスタイリッシュでかっこいい。もちろん今となっては映像もストーリーも古いのだが、1985年という時代感覚からは飛び抜けて未来的だったと思うよ。あまりにも未来に行きすぎて誰も付いてこなかっただけじゃないか?」
「今なら理解される?」
「いいや。結局同じところをぐるぐる回ってばかりの人が多いので無理かも知れない。ガンダムとボトムズとダグラムとレイズナーとザブングルを周回しているだけのマニアには永遠にオーディーンの高みへは到達できないだろうね」
「じゃあ、オーディーンはどの世界にいるんだ?」
「新作ギャラクティカの世界に近いと思うよ。宇宙で神話を語る方法論も似ているし」