「魔法の妖精ペルシャの後期OPの「おしゃれめさるな」ってかなりぶっ飛んだ凄い歌なんだけど、これも作詩秋元康さんだったのか」
「秋元康さんだとどうなるわけ?」
「普通のアニソンの文脈から外れた歌詞を作ってくれるという意味さ。アニメじゃない、みたいに」
「AKBの人だろう?」
「おニャン子クラブの人でもある」
「それに何か意味があるわけ?」
「ある」
「それは何だよ」
「実は元々【女の子達】の実情を知っている人だということだ」
「それに意味があるわけ?」
「ある。この歌のね、以下の部分」
「これがどうした?」
「熱帯魚みたいにヒラヒラとしたファッションで回遊しているが、実は分かったような分からないようなカタカナ言葉を喋るだけで、実はあまり奧がない。何となくその辺を回遊しているだけなんだ。だから熱帯魚みたいなんだ」
「えー。まさか」
「だからさ。ここの表現は以下の価値観が2つが拮抗している」
- 熱帯魚みたいで可愛らしい
- 熱帯魚みたいで頭の中身は空っぽ。ただ単に鑑賞されるだけの存在
「まさか」
「この歌のおしゃれとは何か。それは熱帯魚化の技術のことなのだ。おしゃれめされるなとは、おしゃれに関して油断をしてはならないという意味だが、それは熱帯魚にならねばならない。油断をすると熱帯魚になれないということを意味する」
「頭空っぽになれというの?」
「そうではない。この後はこう続くからだ」
「どういうこと?」
「私とあなたは熱帯魚化していない。初デートでドキドキしている。熱帯魚には存在しなかった中身がそこにある」
「熱帯魚化に反抗しているわけだね?」
「そうでもない。要するに熱帯魚を気取ることで、相手の気を引こうとしていることも事実なのだ。しかし、ここで起こっていることは、熱帯魚になってしまうことではなく、熱帯魚を偽装することなのだ。つまり、それは以下の歌詞で【気取る】という言葉で表される」
「じゃあさ。最終的に熱帯魚はなるべきなの? ならないべきなの?」
「ならないべきなのだ。なぜなら2番の締めはこう来るからだ」
「つまりなんだい?」
「【言葉を飾らない】とは、【カタカナ言葉】の逆の意味なのだ。つまり、カタカナ言葉は言葉を飾りすぎなのだ」
「そこにつながるのか」
「そして、最終的に熱帯魚らしくあれという言葉ではなく、二人らしくあれという言葉で終わる」
「それはどういうことだい?」
「おしゃれめさるなの意味が途中で変質している。最初はおしゃれに関して油断をしてはならないという意味だったはずなのに、いつの間にかおしゃれに飲まれて自分を見失うな、という警句に変化していくのだ」
「えー」
「ホントかよ」
「さあな。真実は秋元さんしか知らないのかもしれない」