「なぜこれを見たの?」
「理由は2つある。1つは今日がTOHOシネマズの割引日であること。もう1つは、オタクでも何でも無い某大手ソフトハウス元社長が宴会の席でゴジラが良かったと熱弁を振るったからだ」
「面白かった?」
「凄く面白かったぞ」
「面白かったところを列挙してくれ」
- 正しい怪獣魂を理解する映画製作者は今や日本ではなくアメリカにいると分かったこと (日本特撮界メンツ丸つぶれ)
- もはや怪獣は日本の都市を襲ってくれない。アメリカに行く
- 怪獣と戦うのは自衛隊ではなく米軍。しかも真剣さのレベルが違う
- 日本の原発にアメリカ人技術者が常駐している。つまり黄色い猿が自分だけの力で原発を動かせるわけがないという描写。(しかも、映画の外側にある現実はそれを否定できない)
「自分としては非常に良く出来た正しい怪獣映画を見られたので満足だ」
「正しい怪獣映画とはなんぞや?」
「怪獣映画とは怪獣を描く映画ではなく、怪獣という異常事態が発生した状態での人間の振る舞いを描く映画だ。そこは理解されないことが多いけれどね」
「何故人間の振るまいが重要なの?」
「客も人間だからさ。怪獣には感情移入できない」
「怪獣は他者なのだね」
「結局、その他者性をいかに描くのかがポイントだ。お子さまの客が怪獣=自分と認識して、怪獣のように暴れたいと思わせたらオシマイ。怪獣は子供サイズに小さくなる。その映画に先は無い」
「オシマイをやっちゃった日本のゴジラは滅んだわけだね」
「そうだ。このゴジラが最後の一匹とは思えないが、取りあえず日本のゴジラは当分滅んだままだろう」
ACE COMBAT 6 §
「王様橋が破壊された!」
「王様橋じゃないって」
「黄色いスクールバスに子供を乗せて渡っているぞ。天使とダンスでもしてな!」
「天使とダンスは言ってないって」
「しかも、王様橋の上に戦車がいて迎撃しているぞ」
「だから違うって」
「その上、王様橋の手前に大艦隊。海からのガルーダの進撃を抑えようと展開しているぞ」
「ガルーダじゃなくて怪獣に備えているんだってば」
オマケ §
「だからさ。凄くいいのは橋の上で子供満載のイエローバスと戦車がすれ違うところだな。あれは異常事態の異常さが凄く分かる描写で、しかもハラハラできる。ああいう映像がサラッと撮れるのが強みだろう」
「結局何がいい訳?」
「だからさ、日常と非日常がクロスするポイントが映画の見どころになる」
「本当に?」
「世界の果ての通学路なんてまさにそう。通学路という日常と世界の果てという非日常がクロスするから面白い」
「非日常オンリーではダメなの?」
「ダメだね。観客は日常を生きているんだ。それは作品に入っていけない」
「日常オンリーではダメなの?」
「ダメだね。本当に日常しかないなら、映画館まで行く意味が無い」