ハウルの動く監督 §
ジブリの【ハウル動く城】という映画は、当初細田守監督に依頼されるはずであったが、宮崎駿監督に途中で変更されて完成したと言われる。
実はジブリに関しては不可解なことが多い。
宮崎駿、高畑勲の両監督以外で、まとまった本数をジブリで監督した演出家が存在しないのだ。
それを考えれば、本来ジブリの演出家ではない細田守監督が映画完成にすらたどり着けないとしても何らおかしくない。
なぜだろうか。
細田守監督はジブリのスタッフが横を向くほど志の低い監督なのだろうか。
それは考えにくい。
他の細田守監督作品は良く出来ているからだ。
他の監督も無能なのだろうか。
それも考えにくい。
他の監督作も十分に面白いからだ。
それに関わらず、ジブリは思い出のマーニーを最後にアニメ制作を終わるという。
なぜだろうか。
後継人材の育成に失敗したのだろうか。
実はそうではないことに思い至った。
思い出のマーニーの問題はどこにあるのか §
【江戸東京博物館】の【思い出のマーニー×種田陽平展】を見に行ったが、映画本編より面白かった。特に音声ガイドを借りて、声優の説明を聞きながら見ていると、十分に映画の代替になったが、映画以上に面白かった。
これは重要な問題を示唆する。
それは何か。
種田陽平氏は映画美術の専門家であって、アニメの専門家ではない。彼は初めてアニメの制作現場に入り、思い出のマーニーの美術監督を務めた。
つまり、強力な助っ人をジブリは迎え入れたことになる。
その分だけ作り手の意気込みは大きく、高い志を持っていたと言える。
しかし、その美術は博物館では見事に花開いたにも関わらず、映画の印象はそれに負けてしまった。
なぜだろうか。
実は以下の仮説を導入するとすんなり解釈できることに気づいた。
- 志を上げることは、アニメ作品の質の向上を意味する
- しかしながら、志を上げすぎると周囲が付いてこられなくなり、むしろ作品は荒れる
つまり、種田陽平というビッグネームは、ジブリというシステムにはビッグ過ぎたのだ。
それはアニメクライシス1983への対抗策として産まれたスタジオジブリがアニメクライシス21Cという新しい火種を抱え込んだという皮肉でもある。組織が上手く機能し、意思疎通が上手く行ったとしても、それは身内に関しての話だけである。外部から突然誰かがやって来て上手く行くとも言えない。おそらく、種田陽平氏はジブリの美術スタッフとの関係までは築くことができたと思うが、直接関与しない他の部署はどうであったか分からない。
そういう意味で、監督になり損ねた細田守という名前も、優れた仕事を行いながら映画の印象にあまり貢献できなかった種田陽平という名前も、同じような位置づけなのかもしれない。
アニメクライシス21Cとジブリ §
ジブリにはアニメクライシス21Cを乗り越える力は無く、ここでジブリのアニメ制作が終了するのはある意味で止むを得ないことだろう。
それはアニメクライシス1983で宇宙戦艦ヤマトが完結してしまったことと同じなのだ。
だが、本当にそれを止む得ないことと言って良いのだろうか。
再開は夢想なのだろうか?
少なくとも1つだけは言える。
同じシステムでやろうとする限り、再開はあり得ないだろう。
事実として、宇宙戦艦ヤマト復活篇は何回制作をアナウンスされても実現しなかったのだ。それが本当に劇場で公開されたのはなんと2009年のことなのだ。
ポストクライシス21Cの時代を見据えて、新しいシステムを構築できた者が勝者になるのだろうと思うが、それが今までのようなアニメで済むかは分からない。もはやアニメというスタイルには技術的必然は存在しないのだ。
【エピローグ・越えられない壁の問題に続く】