「ともかく、去年の10月から12月のヤマトシーンは、いろいろな意味で面白かった。波乱もあり、意外な成り行きもあり、飽きなかったと言って良い」
「どこが面白かったの?」
「その話はいずれな」
「ケチ」
「結局、ヤマト関係者の感性は一枚岩では無いと分かった。いろいろな感じ方があって、多様だ。その一面が、追憶の航海と星巡る方舟に明瞭に出ている。2つの映画はまったくの水と油だ。元になった素材は同じであるはずなのに、全く別のところに着地している」
「どっちが上手いと思う?」
「上手下手の問題以前に、そもそも見ている向きが違いすぎる」
「どう違うわけ?」
「追憶の内容は、ヤマトなど何も知らずにぶらっと劇場に来た人が見ても分かるような作りになっている。それに対して、方舟のオープニングは既にテレビシリーズを見たファンが内容を思い出して復習する作りになっている。あれだけ映像をはやくまわしても、予備知識の無い人は分かるわけが無い。しかし、【ファンが思い出す切っ掛け】という意味では上手く機能している。そういう意味で、既にTVシリーズを見た人が、方舟のOPの方が良く出来ていると発言するのはミスジャッジ。見ているから分かるのであって、あれは分からないと思った方が良い」
「ダメなのかよ」
「実はね、方舟はかなり大なたを振るって関係ない要素を大幅に切っているのだ。そういう意味で、オープニングの内容は分からなくても構わない。この映画はバーガーがヤマトと和解する話なのであって、ヤマトの航海は実はどうでも良いからだ」
「でも、ヤマトの航海を踏まえて語ってる人も多いじゃないか」
「そこも解釈が割れていて、あくまでヤマト2199の第24.5話として見ている人と、バーガーが可愛いからそれでいいと思って見ている人では印象がまた変わっているはずだ」
「ひ~」
「まあ、いろいろあって面白かった冬だった。でももう終わった感があるな」
「ぽっかり穴が空いた?」
「いや、今は未来兵器ASを受け止めるのに忙しい」
「結局多忙かい」
「それにしても、本当に人によって印象が変わっている映画だな、方舟は」
「劇場の小さなスクリーンを埋められるぐらいの動員力はあるが、逆にいえば多数派は動員できていないわけだね」
「そう。好きな人、見たい人と、そうではない人は綺麗にスパッと割れているが、それらもけして一枚岩では無い。好きな理由も嫌いな理由も一貫していない」
「君はどうなんだよ」
「その話はまた今度な」
「またはぐらかした」
「この方舟が見られるのもあと僅かだからね。みんな見に行けよ」
なぜ割れる? §
「なぜ客が割れるのだと思う?」
「ヤマトの復活は奇跡ではなくなったからだ。ヤマトが復活する奇跡、実写映画になる奇跡、TVシリーズになる奇跡を通じて、奇跡は消費し尽くされた。もう終わりだよ」
「奇跡ではないとしたらどうなるの?」
「ただの映画なら、明確に好き嫌いは出てしまうよ。特にフォムトはバーガーと承認できるかというハードルがまずある。ついでに古代も、あれを古代進と承認できるかという問題がある。明らかにあれはバーガーでは無いし古代進でもない。バーガー、古代というラベルが貼ってあるだけだ」
「でも人気はあるよ」
「そう。キャラに魅力があるのかは別の問題だからだ。バーガー可愛いからまあいいか、あるいはあのバーガーだから好きという人がいてもおかしくはない」
「でも、このバーガーとは別物なんだね?」
「並べればすぐ分かる」
「違ったらダメなの?」
「ダメってことはないが、どれだけの人に承認されるかは分からない」
「それはどういうことだい?」
「古来、リメイクで解釈が変わったキャラなどいくらでもいるが、筋が通った良いキャラでも【こんなのXXさんじゃない】的な拒否反応は盛大に起きていた」
「古代?」
「古来だっ!」
「で、この話はどこにつながるんだ?」
「それはまた今度な」
「またはぐらかした」
ともかく §
「結局、追憶の方舟も周辺の様々なリアクションが人それぞれで興味深かった」
「そこに尽きるわけだね」
「そう。世界は多様だ。しかし映画は1つしか作れない。多様な世界にたった1本の映画でどう挑むのかだ」
「そして1本の映画が多様なリアクションを産むのだね」
「そういう意味で面白い冬だった」