2015年02月03日
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続・コント55号の大弱点のここはどこだ?

Written By: 川俣 晶連絡先

「菊川さんからも御意見を頂いたが、編成は2両程度で短いという情報を見落とされていたようだ。それから、以下はきむらたかし@三田用水さんからのご教示だ」

「どこがポイントだ?」

「看板は全く分からなかったよ」

  • 初期の新幹線の架線柱か?
  • 電車の上に見える看板は富士銀行(現・みずほ)の看板
  • 緑1色の車体=京王か東急 しかし 京王はこういった大きな川は渡らない 東急で新幹線(あるいは首都高)に近く編成が短いのは1に池上線、2に目蒲(当時)線

「それでどうなんだ?」

「ある程度は絞り込めるようだ」

川俣様

こうやってはみたのですが…

https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zMfpKjOsa42A.kRMQhAOyqcog

五反田北からでは新幹線が遠すぎる

今は、首都高目黒線の高架があるのですが当時あったのかなかったのか

という問題がクリアできません。

「映画は1969年、首都高目黒線は1967年に全線開通になっているようなので、もう高架はあったという解釈で良いと思う。しかし、これは重要なヒントだ」

「なぜ?」

「映画は新しいものを被写体に使おうとする。社長シリーズで特急こだまの社内電話を使ったり、新宿新都心ができつつある当時ロケ地に多用されたりした。つまり、完成直後の首都高2号が背景の被写体に選ばれたという解釈はありうる。更に、電車も通っているが、実は通る電車を撮りたがる傾向もある。昔の映画を見ていてやたら背景に電車が通るものがあるが、あんなに頻繁に電車が走っていたはずがない。通った時を狙って撮ったのだろう」

「意外とこの方向で何かの解釈が出せそうだね」

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