「なぜ松濤美術館に行ったの?」
「気分的にもうダメだったし、ロベール・クートラス展は今日までだったから」
「それで自転車を漕いだわけだね?」
「そうだ」
「結果はどうだった?」
「刺激をもらったよ」
「第33回渋谷区小中学生絵画展」 §
「小1の作品は本当にアート。子供は天然のアーティスト」
「小2は?」
「小2から順番に徐々に上手くなっていくのだが、それに頒布礼してアートっぽさが消えていく。見る面白さが無くなっていくんだよ」
「それが分かったのが面白いわけだね」
「それだけでなく、本当に小1の作品は面白かったよ」
「ロベール・クートラス展 夜を包む色彩」 §
「最初に見た印象は?」
「人が多かった。無料期間だとこんなに人が増えるのかって感想」
「ひ~」
「それからね。1~2枚見て真っ青。おいらはこれを解釈できる日が来るんだろうかと思った」
「それで?」
「何回か見ているうちに、徐々に分かった。ここには子宮回帰願望、植物化願望、昆虫化願望、植物の栄養になって骨になる願望などが描き込まれている……ような気がした」
「気がしただけかい」
「でも、語れる言葉は残せた」
「【美しい】だけではダメなのか?」
「それはダメだ。美しく描くのは基礎技術の問題。構図のバランスや色使いなどはね、基礎なのだ。その先が問題。そこからメッセージを読み取らずにただ単に【綺麗ですね】というのは、アーティストのアーティスト性の否定だ」
「でも素人には難しいメッセージは読み取れないよ」
「たいてい難しくないから大丈夫。難しいメッセージがあってもそれは分からなくて問題無い。それは別の誰か宛のメッセージだから」
「つまり、読み取る意志の問題ってことだね」
「そうだ。読み取る意志のある相手には凄くみんな開けっぴろげで見る者を歓迎してくれる」
「じゃあ、今日の歓迎された?」
「されたされた。正しい認識に達した瞬間、ほとんどの絵を解釈可能になった」