「世田谷古地図の昭和4年には、自分で確認できた範囲で5つの羽根木ないし羽根木を含む名前存在する」
「どこだい?」
- 甲州街道の北側(杉並区和泉に相当)
- 和田堀浄水場の西側の京王線南側
- 和田堀浄水場の南方
- 更にその南方(羽根木通)
- 更にその南方(?羽根木)
「それで?」
「これらは、実は全て別の地名だったのではないだろうか? という疑いが出てきた」
「少なくとも、和泉の羽根木は別の土地だね」
「そうだ。だが世田谷側にも別の村に属する別の羽根木があるのだ。とすれば、地図上の個々の羽根木の文字も別の村に属する別の羽根木を意味しているのではないか。そんな気がしてきたよ」
地名はなぜ変えられたのか §
「これらの複数の羽根木は昭和4年の地図にはあるのに、14年になるともう無い」
「なぜだろう?」
「その理由が分かってきた」
「伝統の破壊?」
「ではなくて、実は凄く不便なのだよ。同じ名前あるいは似通った名前の土地が近くに複数あるの。どこが目的地かとても分かりにくい」
「XX村XX字よりも、XX町XX町目の方が分かりやすいわけだね」
「つまり、単純に伝統的な名前を潰していたのではなく、利便性の向上への要求から紛らわしい地名を潰していったのではないか、と言う気がしてきた」
「今に喩えると誰も読めないキラキラネームの改名みたいなものだね」
「そうすると単純に伝統的な名前の復活を望む声は、不便さを知らない子供の戯言ってことになる。真面目に取り上げる意味は無い」
「でも本人は納得しないはずだよ?」
「本人は文化を守っているつもりだからな」