「銀翼のファムの劇場版を見て、一点ヤマトを思い出した」
「それは千明孝一さんの名前かい? それとも小林誠さんの名前かい?」
「どちらも違う」
「じゃあいったい」
「この映画のラスボスは、要するに女王との約束を果たすために武力で世界を統一しようとする」
「そこか。そこなのか。ヤマト2199のデスラーそっくりじゃないか (そこだけは)」
「結局、それは何を意味するのか」
「何を意味するんだい?」
「フラットな世界観において、悪は絶対ではないが、物語構成上敵は必要だ」
「それで?」
「ならば、優秀な常識人をいかにして敵に仕立てるか。女との約束は良い口実だ。約束を守るためには、妥協ができずに敵になる。1つの類型なのだろう」
「では両者は同等?」
「いや、ファムの方が1枚上手だ。こちらは死んだ女王の遺言を守るという形になり、永久に変更ができない。死んだ人間は前言を撤回できないからだ。しかし、ヤマト2199のデスラーの場合、スターシャは死んでいないので、スターシャ自身の変更要求を蹴るデスラーはとても純粋とは見えない。ナルシーな中二病にしかみえない」
「ぎゃふん」
考察 §
「最大の問題は、他人を不幸にしてまで意固地に約束を守る人格に説得力はあるのかだ」
「1人との約束を果たすために数万人を不幸にするなら、説得力は弱そうだよね」
「銀翼のファムの場合、まだしも【少なくとも争いは無くなる】というメリットが存在することだ。不幸にするつもりなどない、と言えないこともない」
「でもデスラー2199は」
「そうだ。同胞殺しを画策した。争いを無くすためにと言う大義名分すらない」
「かといって、自分の趣味のために戦争をするというデスラー1974の純粋さも無いわけだね」
「誰も望んでおらず自分の願望ですら無い。更に約束した相手が望んでいないことを実行して自滅した。どこにも救いが無い。合理性も無ければ、説得力もない。感情移入の余地もない。こんなデスラーが出ない最終回だからこそ、ヤマト2199は救われたと言えるよ」
「哀しい話だねえ」
「しかし、フラットな世界観における敵とはいかなるものであるべきか。研究の余地があると思った」