「オタクの歴史を振り返ったとき、前期と後期ではオタクを駆動する基本原則が異なっていることに気づいた」
「それはなんだい?」
「前期はビョーキに駆動されるが、後期は共感に駆動されているように思われる」
「ビョーキとはなんだい?」
「自分たちの行動に病理があるという客観視だな」
「共感とはなんだい?」
「感情の共有だ。主観的なものだ」
「では、結局何が違うんだい?」
「つまりだな。ビョーキというのは、社会から異質である自分たちを肯定する言葉なのだよ。自分からビョーキと言ってしまうと、異質さは自らの意志で選び取ったものになる」
「では共感とは?」
「自分たちがノーマルであり、共感ができない他者は未熟であるか異常者ということになる。ひたすら自分たちを承認せよという欲求が主となり、自分たちは異質などではなく、これがノーマルだとみなす」
「逆転しているわけだね」
「まあそうだな」
「で、結局何が言いたいんだい?」
「オタクの価値観に共感ができないおいらは、まあはっきり言って今のオタクシーンからは脱落して排斥されている。もはや彼らが何をしているのかぜんぜんワカランよ。どんなゲームアニメが流行っているのかすら知らない」
「でも、それは【共感】で駆動される今のオタクを相手にしている場合の話だね?」
「そうだ。昔のオタクはまだ部外者が入っていく切り口があって、可愛げがあった。【オレ達はほとんどビョーキだ】と言われると、こっちも別のビョーキかも知れないと思うぐらいの余地はあった」
「でも今は無いんだね?」
「共感が前提なので、共感できなかった時点でもう入れない。入る気も無いが」
「で、問題はどこにあるんだい?」
「【共感】駆動は、共感不能の異質なる他者とのコミュニケーションを不可能にして、コミュニティがタコツボに入る」
「それは発展への展望が見えない世界だね」
「まあ、オタク文化は既に縮小崩壊期入って久しいと思うべきだろう。企業団体が意識的に萌えキャラや萌えアニメを扱った時点で既に終わりが始まっている」
「今のオタク達の寿命が尽きて、意識が違う若い世代が社会の主流になれば、もうオタク文化が消えるわけだね」
「そう。時代背景が違えば共感はできなくなる。時代が大きく変われば共感駆動の文化は維持できなくなるよ」
「今ですら隣人に通じるか怪しいオタク文化が百年後にも通用するとは限らないわけだね」
「あるいは、たとえ通用していてもまったくの別物に変化しているかもしれないわけだ」
「変化?」
「そうだ。オタクしぐさとかいってね。未来の誰かが捏造したオタクの伝統が大手を振って信じられているかもしれない」
「そんなことあり得るの?」
「実際海外で受容されたオタク文化は既に日本のオタク文化とは異質だ。たぶん共感は無理」